仏教における苦について

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗の生活信条に、

-、み仏の誓いを信じ、尊いみ名をとなえつつ強く明るく生き抜きます。
-、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて感謝のうちに励みます。
-、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけてまことのみのりをひろめます。
-、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい社会のために尽くします。

と、あるのだが同行の坊さんと話していて、これ少し変じゃないか?と思った。
『領解文』に「このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ」と法度(はっと)が出してあるので、娑婆の生き方は人々(にんにん)各自の出来る程度に適当に過ごしていけということであろう。
そもそも仏教は「生活信条」に示すような生き方を説くのではなく、生死(しょうじ)を超える道である。弘法大師空海は、「生生生生暗生始 死死死死冥死終(生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し)」『秘藏寶鑰』(*) とおっしゃったそうだが、これが無明ということであろう。

武内義範氏は、『親鸞と現代』の中で、

 四諦は苦集滅道(くじゆう-めつどう)というこの四つの真理で、原始仏教ではそれを知らないということが、この真理に対する無知が、すなわち無明だといわれている。四つの真理のうちでまず苦ということが一番初めに出てきているが、この苦ということの意味が現代人にとっては、その理解が非常にむつかしいものとなってしまっている。というのは、われわれは苦ということの意味を本当に理解しえないような時代に生きているからである。われわれにとっては快楽とか幸福とかということが、われわれの生の自明の目的とか第一の原理になっていて、苦というものの示す真理ということを深くきわめて自省するということはなくなってきている。

と、仏教に於ける「この苦ということの意味が現代人にとっては、その理解が非常にむつかしいものとなってしまっている。」と、いわれている。
たしかに現代社会は科学という技術によって、混沌というものに目や鼻をつける役割を果たしてきたのだが、かえって仏教の持つ根源的な無明というものに対する考察を等閑にしてきたともいえるであろう。
『親鸞と現代』は、西洋哲学の視点から仏教の思想を考察しているのだが、武内義範氏は、浄土真宗の僧侶でもあるので門徒にとって同書は得るところが多いと思ふ。

→無明と業─親鸞と現代

ともあれ、百年考えても死ぬとしか思えない無明の闇を、死ぬのではなく「必至無量光明土(かならず無量光明土に至る)」という、なんまんだぶと称える浄土真宗のご法義はありがたいこっちゃな。

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善導大師と親鸞聖人の至誠心釈の訓点の違い。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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MediaWikiに漢文の返り点を表示できるようにしてみたので、善導大師と御開山の訓点の違いが判りやすいようにしてみた。
智慧第一といわれた法然聖人が、

「善導において二へんこれを見るに往生難しと思えり。 第三反度に、乱想の凡夫、称名の行に依って、往生すべしの道理を得たり。」 『醍醐本法然上人伝記』。(*)

と、いわれたのは、この至誠心釈の解釈であろう。
何しろ善導大師の示される至誠心とは、阿弥陀如来が因位の法蔵菩薩であったときに三業を修した真実心と等しい至誠心でなければならないというのである。このような至誠心をもって修した行業でなければ往生は不可というのであるから、凡夫の手には全くお手上げである。
ともあれ、善導大師の至誠心釈と、法然聖人を経て御開山が訓読なされた至誠心釈を比較しやすいようにUPしてみた。

→「至誠心釈について」

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念仏会(ねんぶつえ)

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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過日「聞見会」の念仏会(ねんぶつえ)に参加してきた。会といっても通常は同行の慈海坊さんと二人しかいないのだが、珍しく参加者がいて三人で、なんまんだぶを堪能してきた。
念仏会といっても、いわゆる『観念法門』にいわれる『般舟三昧経』のような観念仏ではなく、ひたすら口に、なんまんだぶと称える念仏会である。寝そべって称えようが端座合掌して称えようが、五体投地して称えようがかまわない各自が勝手に、口になんまんだぶを称える会である。
合間にご法義の話を挟んでの二時間であるが、世間の目から見れば奇異に見えるだろうと思ふ。
浄土真宗では称名は讃歎行である。大谷派の金子大榮師は、浄土というのは音の世界、音楽の世界ですと示して下さった。はじめて読んだときには意味が分からなかったが、『浄土論註』下で「荘厳妙声功徳成就」を釈して「此是国土名字為仏事(これはこれ国土の名字、仏事をなす)」という句をみて少しく分かったように思えたものだった。
ともあれ一人でつぶやくような、なんまんだぶもあるし、他者と時間を共有して称える讃嘆行としての念仏も、またありがたいものである。
そのような意味でかって読んだ、武内義範著『親鸞と現代』「行為と信仰」から、象徴的行為としての念仏についての文を引用しておく。

上述のごとく『教行信証』の『行巻』の初めでは、行ということは「無碍光如来の名(みな)を称するなり」とされている。すなわち念仏を称えることとして、最初に概念が規定されている。その意味ではあくまで能行としての行を問題にしているが、親鸞はその能行としての行を「諸仏咨嗟の願」、すなわちすべての仏が阿弥陀仏の名号を讃めたたえるという第十七願から出ていると考えている。その場合に第十七願から出ているとして考えられる行の概念は、さきの単なる能行としての念仏の行為というものよりは一層広く一層深い意味に解釈されていて、称名という行為はいわば象徴的な行為となってくるように思われる。

すなわち能行としての行は、そのままそれが象徴的行為として、すべての仏、一切の衆生、一切の世界のありとあらゆるものが仏の名をたたえている、その全体の大きなコーラスの中に流れ入れ込み、融入している。阿弥陀仏の名をたたえることが、大いなる称名の流れのなかに、つまり諸仏称揚、諸仏称讃の願の内容に流れ入っている。そこでは、行の意味は単にひとりの人間の行為ではなくて、その行為自身が実は深い象徴的な根底をもっていることとなる。だからその行為によって、象徴的な世界が開かれて、私自身の称名の行為がその象徴的な世界のなかに映されている、とそういうふうに考えられる。

家の爺さんや婆さんは、「声によるお荘厳」ということを言っていたが、衆生の称名が、諸仏の称名に巻き上げられて「諸仏称名 衆生聞名」と聞こえてくれる世界もあったのであろう。ありがたいこっちゃ。

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法然聖人の信心論

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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日本人に全く新しい仏教があることを示して下さったのは法然聖人である。
一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故(一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故に)というシナの善導大師の「散善義」の「順彼仏願故」の文に邂逅した法然聖人によって開創されたのが日本浄土教である。
天台大師は『法華玄義』で、《教》とは「聖人、下にかむらしむ言(ことば)なり」(大正蔵三三、六八四頁))といわれたそうだが、そのような意味で法然聖人は、聖人なのである。だから御開山は法然聖人とお呼びし、その弟子も法然聖人とお呼びしてきたのである。あの一宗を立てようと画策した覚如上人でさえ御開山の呼称を上人と呼んだり聖人と呼んだりのゆれがあるのだが、法然聖人については常に聖人である。江戸時代に入って宗派根性から法然聖人を法然上人と呼称するようになったのだが、これは御開山の意図と逸脱しているとしか思えん。
ともあれ、真摯に法然聖人の回心の原点に帰ってみることも必要だと、なんまんだぶ育ちの門徒は思ふ。
そもそも、釈尊は浄土思想を説かなかったし、所依の大乗経典そのものが釈尊金口の説法ではない。しかし、仏教とは仏になる教えであるから、仏を生み出さないなら看板倒れである。そのような意味で法然聖人は、越前の田舎の愚昧な浄土門の門徒である林遊にとっては、なんまんだぶを教えて下さった日本が産んだ仏陀であり、御開山親鸞聖人もまた、なんまんだぶのご信心を教えて下さった仏陀である。
(99)
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ

とにかく、御開山がおっしゃるように、浄土真宗(教法名)の元祖は法然聖人である。であるから、本当の御開山親鸞聖人を理解する為には、法然聖人の教学を窺うことが大切であると思ふ。というわけでちょっと難しいが、入手が困難な梯實圓和上の名著『法然教学の研究』から、第二篇 法然教学の諸問題の「第三章 法然聖人の信心論」の一部をUPした。元の本には読下し文がないので、長い漢文は適宜読み下し分を追記しておいた。
また、参考文献にはリンクを張っておいたので重層的・立体的に法然聖人の信心論を窺うことができるであろう。(元々林遊の勉強用のWikiではあるのだが……)

→「法然聖人の信心論」

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法然教学の研究

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、おっしゃっている。
御開山は「仏願の生起本末」ということをおっしゃったが、出来上がったものだけを聞くだけでは真意はつかめませんという意であろう。そのような意味では法然聖人のご法語を拝見することも意味あることである。とくに醍醐本『法然聖人伝記』や『三部経大意』等は大正時代に明らかになった書であるから、法然聖人の思想を学ぶには大事な意味があると思ふ。また『西方指南抄』などももっと読まれてよいだろう。
深川和上は、御開山は法然聖人の弟子であるから『教行証文類』は法然聖人の言葉で埋め尽くされてもよいのである。しかるに「行巻」で、『選択本願念仏集』の冒頭の「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」の標宗の文と結論である「三選の文」だけしか引かれておられない。これは『選択集』の最初と最後をあげることによって『選択集』を全文引文する御開山のおこころである。だから『選択集』はもちろん、七祖のお聖教にも目を通しておきなさい、とおっしゃったものである。林遊は漢文も解らず、仏教学も真宗学も無縁な田舎の一門徒だが、さいわい西本願寺が出版した注釈版の聖教を手にしてから、なんまんだぶの味わいが深くなったように思ふ。

ともあれ、「法然聖人による回心の構造」については前述の『法然教学の研究』からの抜粋をUPしてある。法然聖人を回心せしめた「順彼仏願故(かの仏願に順ずるが故に)」の考察である。
この「順彼仏願故」とは、なんまんだぶを称える行業は、阿弥陀如来が本願によって選択したもうた行という意味である。阿弥陀如来が選択摂取した本願の行であるならば、行者のがわからは何も付け加える必要はない。その付け加える必要のないことを『選択本願念仏集』では不回向といい、御開山は『教行証文類』で、七組や他宗の祖師方の文をも引文し、結論として『選択本願念仏集』引文のニ文におさめて、「あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし」p.186と、決釈されたのであった。

この法然聖人の示された、不回向ということは、実は阿弥陀如来の本願力回向ということであると領解し展開されたのが御開山であった。それを示唆したのが、御開山の思想遍歴の悪戦苦闘の末に出あった、曇鸞大師の『浄土論註』の「今将談仏力(今まさに仏力を談ず)」の文であった。この文によって法然聖人の「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」p.1197とは、実は、阿弥陀如来の本願力の躍動する世界を表現している言葉なのだと御開山は領解されたのであった。

そのようなわけで、御開山の本願力回向という思想の淵源となった、法然聖人の「不回向」を論じている梯和上の『法然教学の研究』から、UPしてある「正雑二行の得失」への抜き書へリンクしておく。

→「正雑二行の得失」

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『玄義分抄講述』

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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梯實圓和上の幸西大徳の『玄義分抄講述』のUPしてあった一部に追記した。
『玄義分抄』は梯和上が「序分」中で、
 わずか全文六十八丁の短編の著作であるが、その義理の深遠なることは驚嘆すべきものである。それは単なる「玄義分」の注釈書ではなく、むしろ「玄義分」をとおして大徳の独創的な浄土教思想を表明したものといった方がよかろう。あるいは法然聖人の教学の特徴である廃立義を究極までつきつめた書であるともいえよう。
と、言われている。
そのような意味では、浄土三部経や善導大師、法然聖人の著作を読んでいないと、その深遠なる玄義の意味が解らないのかも知れないと思ふ。そもそも安居の講本(平成六年度)なので遠慮会釈なく教義概念の専門用語が飛び交うし、漢文も頻出するので、初めて読んだときには意図を理解するのが困難であった。
ただ、御開山の思想と非常に近いので、読んだときには選択本願念仏の行を強調する法然聖人と、その行から信を開いて信心正因を強調する御開山とのあいだのミッシングリングリンクを見つけたようで感銘したものではあった。
信心は仏心、浄土の菩提心、一乗思想、浄土の真仮、仏智疑惑の誡めと明信仏智、真の仏弟子、現生正定聚などという真宗のテクにカールタームの指し示すものが判ったと思ったものであった。なお、浄土教の教説に隠顕をみるという発想は幸西大徳が嚆矢である。その他にも御開山独自の思想とされてきたとされる思想に共通する概念は多いから法然門下で同じグループに属しておられたのであろうと思ふ。

ともあれ、「聞くところを慶び、獲るところを嘆ず」るためにUPしてみた。

→『玄義分抄講述』の幸西大徳の一念義

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梵声猶雷震

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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ある時、ご法話の後で、茶話会があった。
冒頭、中年の女性が、
今日の話はよくわかりました。胸にしみるようないいお話でした、と述べた。
とたんに和上が、
あんたぁ、あんたの頭がわかってどうなる、あんたの胸にしみてどうなる、そんな話しをしてるんじゃないんだよ。何と驚くべきご法義であったかと、梵声猶雷震 1、まるで雷にうたれるんだ。
わかったとか胸にしみたとかは、あんたは、あんたの受け取り方を云うとるんじゃろ。ご当流は阿弥陀さまの全分他力のご法義じゃから、そのようなものは使いません!!

ちょっと恐かったけど、浄土真宗のご法話とは、このようなものであるかと、領解した二十数年前の夏であった。
聴聞に慣れてくると、聞いた法を表現をするのにいろいろな言葉を使う。そして、聞いた法を、頭とか胸(心)とか腹という身体的表現であらわすことが多い。

よく、わかった、というのは頭で理解した表現。この場合のわかるには、分かる、判る、解るの三種があるのだが、仏教的には教理の体系が解るということである。ただ、浄土真宗の場合は釈尊の覚りの内容を、いわゆる小乗仏教、大乗仏教(聖道)、中国浄土教、日本浄土教という前者を止揚した歴史的展開の上で成立しているので、御開山の真意を理解するには仏教概論とか七高僧の著書の学びが必要であろう。

身体的表現で一番多いのが、胸を突かれるとか、胸が一杯になるというような、胸という言葉に相当する感情表現である。浄土教そのものが、情意的感情に訴える部分が多々あるので、情緒表現をとる例が多い。感情は頭で思惟する理より深い部分があるので、勢いこのような表現が多くなるのであろう。ただ、感情は正確にコントロールされていないと一時の激情に駆られ「バクティ(信愛、ときに狂信)という熱情的な絶対帰依感情に陥る恐れがある。浄土系新興教団の教祖である某氏のいう「堕ちるままのただのただじゃった」云々というのがそれである。感情移入による臨在感的把握の絶対化である。
このような激情はすぐに消えうせるのであるが、自己の内部に確信という救済の体験を求める輩は飛びつくことが多い。

三番目の腹を語頭とする、腹におちるや腹がすわるという表現は、前二者を包含し超越した不動である意が感じられる。禅仏教では、死んだ気になって一切の自我を捨てて仏道に身をささげることを「大死一番」という。浄土仏教では、善導大師の「前念命終 後念即生」の語から、大谷派の曽我量深師などは「信に死し願に生きよ」という。古い私は死んだ、新しい私の甦りという意であろう。宗教とはある意味で死と再生を説くのだが、汝は如来の子であるという本願の言説の前に死と甦りがあるのである。
もちろん浄土真宗は凡夫の宗教であるから、煩悩に騙されて日々をおくるのだが、腹の底から、なんまんだぶと称えられ聞こえた声に腹を据えるのが本願の呼び声であった。

というわけで、今まで聞いた、よく使われるタームを、頭・胸・腹に分けてみた。

《頭》
わかる(分・判・解)、理解する、考える、合点する、観念する、領解する、使う
《胸》
思う、すく、つぶれる、一杯になる、しみじみする、焦がす、熱くなる、突かれる、裂ける、詰まる、焼ける、あたる、はれる、うつ、つかえる、しみる
《腹》
おちる、すわる、入る、響く。

この三種の中で、聴聞の経験上では、男性は《頭》で聞く者が多く、女性は《胸》で聞く人が多いように思ふ。もちろん話者が語る内容にもよるのだが、最近はドカンと腹におちる話をする布教者が少なくなった。
「嘘は常備薬、真実は劇薬」という言葉があるが、小手先のおためごかしではなく、生死(生まれ変わり死に変わりの輪廻)を超える、本当の話が浄土真宗の法話であろう。仏教の輪廻説は信じられなくても、死という厳然たる自己の真相である事実の前では、あらゆるものは色あせ虚無への墜落でしかありえないのである。生まれたからには死ぬのが必然である。この死を往生と示すのが浄土真宗というご法義である。
お寺のご法座の場は、嘘だらけの世間の話ではなく、劇薬である本当の話をする場であるべきなのだが、世俗に迎合した、為になる話が多すぎると思ふ。

死にたくないが、死なねばならぬ、死なねばならぬが死にたくない、死にたくないが、死なねばならぬ……と、生死に呻吟している凡夫のためのご法義なのだから。

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Notes:

  1. 梵声猶雷震(梵声はなほ雷の震ふがごとし)。『無量寿経』往覲偈の文。

一向専念無量寿仏

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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一向専念無量寿仏という語句を見かけたので少しく解釈してみた。
ブログへ書こうかとも思ったのだがWikiArcに「一向専念無量寿仏」という項目があったので、そのノートに記述したのでリンクしておく。

念仏といえば、元来の言葉の意味は仏を念ずることであり意業である。それを現代では念仏といえば、口称のなんまんだぶと取るのが当たり前だが、ここへ至る経緯には諸師方のご苦労があったのであろう。

一向専念無量寿仏

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西方之要路末代有縁

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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越前というか林遊の住む在所では、盆といっても何も特別なことはしない。(嫁はんの誕生日だけど)
近年TVの影響からか墓参りすることもあるが、元々在所にある墓なので身近であり、田んぼや畑に行くついでに手を合わせたりしていたものである。
なんまんだぶと称える声に、先立った人は、倶会一処と蓮の華の半座を空けて待っていてくれるので、宗教的イベントとしての盆の行事を考えることは無い。ちなみにこれを示す四字熟語に一蓮托生という語句があるのだが、近年ではネガティブなイメージなので困ったものである。
とにかく盆とは、ふだん会うことの稀な親族が集まって越し方の四方山話に花をさかせ、一杯呑むことの方が盆という行事であった。
いわゆる浄土にリアリティを持っているから、ことさらイベントをするでもなく、なんまんだぶを称える中に、先立って浄土へ移住した人との会話が成立していたのだと思ふ。普段着のご法義である。
浄土真宗に於ける大切なイベントは「報恩講」であって、盆とか彼岸などというものは枝葉末節である。坊主の糊口をしのぐ金儲けではあるかもだが(笑
こんな事、書いてるから真宗の坊さんに嫌われるんだろうけど、本当の御開山の門徒なら坊主に嫌われてナンボだと思ふ。
と、いうわけで〔いのち〕の行く末の思いを馳せる盆だし、御開山が敬仰された賀古の教信沙弥の伝記を伝える1000年ほど前の浄土願生者であった永観師の『往生拾因』の《序》を読下してみた。
同書で示される教信沙弥の行状については、「ノート:教信沙弥」で読下し文が読めると思ふ。あほだから漢文は判らないし適当だから責任は持たない。

→『往生拾因』の序
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自然ということについて

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『無量寿経』は、格義仏教時代に翻訳されたそうで、自然という言葉が五十数回出てくる。この自然ということを考えていて、ふと、古いSNSでの日記を思い出し少しく編集しなおしてみた。かなり古い記憶ではある。

『時間の砂』という1992年代の映画がある。シドニィ・シェルダンの原作で知っている人も多いだろう。
この映画の中で、バスクの独立を目指す若いゲリラの純朴な農夫が、父を殺され復讐の為に人を殺して逃亡する、修道女に扮した女性に語る奇跡について語る言葉に感動した記憶がある。何でもないような種を蒔き収穫するという事象を彼は奇跡と呼ぶのであった。あとで何かの拍子にマルコの福音書「成長する種」からの引用であるという事が判った。

「成長する種」の譬

また言われた、神の国はこのようなものである。
人が地に種をまいて、 夜昼、寝起きしている間に、その種は芽を出して成長していくが、どうしてそうなるのか、その人自身は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中にゆたかな実ができる。
実がいると、すぐに鎌をいれる。刈り入れの時が来たからである。(マルコ福音書 四章二六~二九節)

自然は克服すべき対象と見るのが砂漠の民のセム族来由の宗教であり、自然と共生する森の宗教が仏教であり、キリスト教と仏教の存立基盤の違いであると思っていた林遊には、ちょっと意外ではあった。もっとも宗教という言葉は、本来は釈尊が説かれたとされる無数の経典の、どの〔教〕えを〔宗〕とするかという仏教語であって、キリスト教という、創造者である絶対神を立てる教義や、常一主率なるアートマンを否定する仏教の教義とは基本的に異質ではある。
この点で、阿弥陀如来一仏を尊崇する浄土教は絶対神をたてるキリスト教と似ているといわれる。もちろん浄土真宗は智慧と慈悲の完成を目指す仏教であって、人格的に表現される慈悲を強調することから誤解される面も多い。
そのような意味では日本にキリスト教が普及しない原因として、人格化された阿弥陀仏の浄土教があるからであるといわれたりするのだが、そのような解釈もあるのであろう。
ともあれ、キリスト教の時間論でいえば、有始有終(始めがあって終わりがある)の時間論であり、因果は巡る糸車というような仏教でいう無始無終(始めも無く終わりも無い)の時間論ではない。「袖すりあうも多生の縁」というような幾多の生を経巡って縁を結ぶという発想はキリスト教にはない。たとえば行基菩薩の、

山鳥のほろほろと鳴く声きけば
ちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ

と、詠うような、山鳥の声にあの鳥はもしかして、先立った父ではなかろうか母ではなかろうかといういうような、時間軸を超えた〔いのち〕の連帯を感じる輪廻と縁起の発想はキリスト教にはないのであろう。
先に、仏教では常一主率なるものを認めないと記したが、大乗の『涅槃経』では、涅槃の徳として常楽我浄を説く。一見、常一主率の否定と矛盾しているようであるが、それはまた生死に懊悩していかざるを得ない幾多の衆生の〔いのち〕の帰する処としての浄土の徳であり、「一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易」の大乗仏教の目指した旗印でもあった。御開山が「真仏・真土巻」で『涅槃経』を引文して浄土の常楽浄を説かれる所以である。(常楽我浄の我については引文されておられない)

ともあれ、100年死ぬほど考えても死ぬとしか思えない、虚無の暗黒への墜落としか思えない〔いのち〕の存在に、往生という《意味》を与えてくれたのが浄土真宗の、本願を「宗」とし名号を「体」とするご法義であった。生きることに意味があるように、死ぬることにも意味付けをして下さったのが、浄土を真実とするご法義である。生の依って立つ処、死の帰する処ということが、帰依するという意味であると示して下さったことである。

日本浄土教の先達である源信僧都は『往生要集』で菩提心を釈し、

知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。
たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。

と、なんまんだぶを称えることの究極の目的は、あくことなき無始無終の菩薩行を実現する為であると示して下さった。
願作仏心のなんまんだぶの種を播き、芽を出(い)だして実を結び、度衆生と刈り入れの時を迎えることこそが浄土教の目的である。
御開山は、「自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり」と、自然という自ずから然るという漢語を言換えて、本願力の自然のはたらきということを教えて下さった。なんまんだぶは自らが称えているようであるが、それは如来がしからしむことであるとされる。そして浄土真宗の大綱を「教文類」の冒頭で、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

と、往還ニ回向を示され、その結論ともいえる『教行証文類』の「証文類」末尾では、

還相の利益は利他の正意を顕すなり。

と、浄土真宗のご法義の正意(目的)を示されるのであった。まさに前掲のマルコのいう自然に「刈り入れの時が来たから」であろう。

(20)
浄土の大菩提心は
願作仏心をすすめしむ
すなはち願作仏心を
度衆生心となづけたり

(21)
度衆生心といふことは
弥陀智願の回向なり
回向の信楽うるひとは
大般涅槃をさとるなり

(22)
如来の回向に帰入して
願作仏心をうるひとは
自力の回向をすてはてて
利益有情はきはもなし

「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」という非常にシンプルな教説は、林遊をして園林遊戯地門の出門の菩薩行を楽しめるご用意もあったである。急いで死にたくもないが、やがておとずれる死の彼方に、「念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心」が展開するご用意までもあるご法義は、ほんとにありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ