色即是空 空即是色

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FBで、「色即是空 空即是色」という語をみかけたので、以下の禅語を想起した。

老僧三十年前、未参禅時、見山是山、見水是水。及至後来、親見知識、有箇入処、見山不是山、見水不是水。而今得箇休歇処、依前見山祇是山、見水祇是水。大衆、這三般見解、是同是別。云々。

老僧、三十年前、いまだ参禅せざりし時、山を見ればこれ山、水を見れば是れ水なり。後来、親しく知識に見(まみ)えて箇の入処有るに至るに及んで、山を見るに是れ山にあらず、水を見るに是れ水にあらず。而今(にこん)、箇(こ)の 休歇(きゅうかつ)の処を得て、依前、山を見るに祗(た)だ是れ山、水を見るに祗だ是れ水なり。大衆、這(この)三般の見解、是れ同か是れ別か。云々。

三般の見解如何だが、浄土真宗風にいえば、解はそれぞれであろう。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

 

ものみな金色(こんじき)に輝く。

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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同行の慈海さんに誘われて、円稜(えんりょう=丸岡という地名来由)組の研修会で聴聞してきた。聴聞した寺院は丸岡町近接の金津町の寺院である。
円稜=丸岡(まるおか)とは、日本最古(1948-6-28の福井大地震で倒壊したのを元の材料を使用し復元したので?ともされるが)といわれる天守閣がある丸岡城がある人口三万ほどの町の名から、その一帯の寺院の集合体を円稜組と呼ぶようになったという。
丸岡は、日本一短い手紙と呼ばれる、本多重次の「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」に材をとり、「一筆啓上」の発信地として知られる。この日本一短い手紙を縁として、短文をしたためた言葉を募集し発表する、一筆啓上のイベントをやっている町でもある。この手紙の本文にある「お仙」というのが、本多重次の嫡男である丸岡城主であった本多成重であるからである。
なお「一筆啓上」のイベントは、全国の自治体主催の公募イベントの嚆矢であるとのことである。

この丸岡城については、二十数年前に記した「聴聞雑記」から、阿弥陀さまにダイレクトする、なんまんだぶの意味を転載したことがある。(*)
「なんまんだぶつの城の天守閣に登って阿弥陀様のお慈悲を眺め、なんまんだぶつのいわれを聞けばそれで十分ではないか。何の不足があるのか」という趣旨である。爾来林遊は、ひまつぶしでお聖教を拝読し、城の石垣の組み方を讃嘆していたりするのであった、口悪いけど(笑
というわけで、研修会の御講師は徳永一道勧学和上であった。林遊はあまり寺の組織や坊さんに関心がないので存じ上げなかったのだが、徳永和上は勧学寮(浄土真宗の教学的問題に対して答える役割を持っている機関)の勧学寮頭だそうである。
林遊は、人を救うのは「名となった言葉である」という林遊を育ててくれた越前門徒のシンプルな立場なのだが、それと違った意味で、禅門の鈴木大拙師のいわれる、

「正統派の学者達は出来上がった御膳立を味わうことに気をとられて、そのものがどうしてそう組み上げられねばならなかったということを問はないようである。つまり自己の宗教体験そのものを深く省みることをしないという傾向がありはしないだろうか。お経の上で弥陀があり、本願があり、浄土があるので、それをその通りに信受して、自らは何故それを信受しなければならぬか、弥陀は何故に歴史性を超越しているのか、本願はどうして成立しなければならぬか、その成就というのはどんな意味になるのか、浄土は何故にこの地上のものでなくて、しかもこの地上と離るべからざるくみあわせにたっているのかというような宗教体験の事実そのものについては、宗学者達は余り思いを煩わさぬのではないか。」(浄土系思想論p.332)

という「行信」という硬直した宗義理解に対する批判がある。そのような意味では硬直したと思われる行信論についての徳永一道和上の問題提起には首肯することがあった。観経の「以観仏身故 亦見仏心。仏心者大慈悲是(仏身を観ずるをもつてのゆゑにまた仏心を見る。仏心とは大慈悲これなり)」の慈悲からの視点である。
もっとも『教行証文類』を紐解くこともなく、怠惰にして一片の慚愧なく、坊主という生き方を単純に肯定する「でもしか坊主」の窺いしれないところの話ではあろう、知らんけど。
ともあれ、お聞かせ頂いた法話の趣旨を味わいNETで検索したところ、同意の法話を見つけ読み、「西意、二座の説法聴聞仕うまつりおはりぬ、言語のおよぶところにあらず」と[云々]『口伝鈔』p.879
という言葉を思い出した。この話は、どうも徳永和上の鉄板ネタみたいであるが、ありがたいことであるのでリンクしておく。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://issei-no-kai.blog.eonet.jp/default/2015/03/post-bac0.html

リンク切れなのでバックアップへリンク。
→ものみな金色(こんじき)に輝く

名号(みょうごう)

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名という漢字は、夕+口の会意で出来ている。
夕方の暗闇で、人に自分の名を名のることにより、名(な)の意をあらわすことから出来た字だそうである。号は、口と音符号(ごう=名をあらわす)形声文字であり、呼ぶとか呼びかけるという意があり呼び名を意味する。

浄土真宗の先輩の門徒方は、南無阿弥陀仏という名号を、いのちの親さまである阿弥陀如来の「お名乗り」であると示して下さっていたものである。
なんまんだぶの名号とは仏の「名のり」であり、阿弥陀仏のさとりの世界(=浄土)からの仏を示す名のりであり、それはそのまま真実界からの「欲生我国(わが国に生ぜんとおもえ)」の喚び声である。煩憂悩乱の生き方をしている者に対して、我が、いのちの親なのだよという浄土からの名のりであろう。
浄土真宗のベテランの門徒が、阿弥陀如来を「親さま」と呼称するのもその意である。
その親さまの名前は、なんまんだぶなのであった。梯和上は「いのちの親」という表現をされたが、なんまんだぶを称える行為は、いのちの親との親しき交流でもあった。それが、往生浄土の真実の宗(=教法)なのであるが、頭の悪い「智愚の毒」に侵された大谷派の社会参画派の真宗坊主は、「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまると」『浄土宗大意』という教説が判らんので困ったものだ。
ともあれ、浄土真宗に於いて、何故か、なんまんだぶという名号について考察した論文はあまりないので、『浄土系思想論』鈴木大拙著の「名号論」をUPしてみた。

大拙師は禅門の方であるから、少しく禅門風の主客未分の経験的一元論で見ている視点もあるのだが、なんまんだぶという称名の位置づけを展開してくれるのはありがたいことではある。
このご法義の先輩である物種吉兵衛(1803~1880)さんは、

聞けばわかる。知れば知れる。聞こえたはこっち。知れたはこっち。
こっちに用はない。聞こえたこちらはおさらばと捨てる方や。用というのはワリャワアリャ(我や我や)と向こうから名乗って下される。

といったそうであるが、まさに、なんまんだぶとは親さま(阿弥陀如来)の、名乗りであろう。
御開山が南無阿弥陀仏の六字釈で、「是以 帰命者本願招喚之勅命也(ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり」とされた所以である。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
リンク:浄土系思想論─名号論

垂名示形 (名を垂れて形を示す)

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浄土真宗では、なんまんだぶを「垂名示形」(名を垂れて形を示す)と表現する。
形なきものが名をあらわして形を示すとは、『一念多念証文』で、

一実真如と申すは無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり、法性すなはち如来なり。宝海と申すは、よろづの衆生をきらはず、さはりなくへだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。
この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。
これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。
この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。(*)

と、いわれているように、「かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり」である。この「御な」を称え聞く南無阿弥陀仏という可聞可称の行法が、浄土真宗に於ける本願力回向の「大行」なのである。可聞可称であるから「なんまんだぶ」なのである。

ともあれ、このように名(ことば)の流出する場の形而上の考察について、井筒俊彦氏の書かれた『意識の形而上学』の、イスラム神秘学の哲学者イブヌ・ル・アラビーに対する考察は面白かったので一部を抜粋してリンクしておく。
もちろん、氏の言うように「それぞれの術語の背景にある言語的意味のカルマが違う」ので、同値することは出来ないのだが、イスラム・スーフィズム(イスラームの神秘主義哲学)の、神との一体化を求める発想に、他力という「本願力回向」の、なんまんだぶのご法義の意味を思ったことである。

御開山は、「行巻」で「重誓偈」を引文して乃至され《聞》ということを強調しておられるのも、

我至成仏道 名声超十方
われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。
究竟靡所聞 誓不成正覚
究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。(*)

《聞》によって開かれる領域を示そうとされたのであろう。聞くことによって信知するから「聞見」とされる。このような名(みな)による救いをいわんとして、元照律師の、

 「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」(*)

の「我弥陀 以名接物(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)」文を引文された意(こころ)であろう。
「私の口に なんまんだ仏 と称えられている事実に、驚くことが信心ですよ」、と聴いたことがあったが、ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
リンク:『意識の形而上学』

夜明けさしてもろたかや

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FBで、夜明け云々という表現があったので、仏教SNS「なむなむ」に記した文章をサルベージ。

>>引用開始
夜明けさしてもろたかや

時々昔の年寄りの会話を思い出すのだが、ご法義のご示談の場で上記のような言葉をよく耳にしたものだ。

ご示談とは、お互いが阿弥陀如来の救済について語り合うという意味。
報恩講の時などはお寺に泊まるのだが寒いので、本堂で布団を被って火鉢を囲み話し合っていた年寄りがいたものだ。

また、3食分の弁当とか米や副食を用意して篤信家の人の家を尋ねて、夜明かしでのご示談もあった。

夜明けさしてもろたかや、とは真宗宗歌にもある「とわの闇より すくわれし」ことの表現である。
夜明けしましたか、ではなく、さしてもろたかという受動表現をとるのが他力のご法義の特長であろう。

もちろん、夜明けさせてもらうのは阿弥陀如来の本願力である。
より端的にいえば名号である、口に称えられる、なんまんだぶであろう。

なんまんだぶが林遊の口から称えられている事を、回向されたご信心というのだ。
頭の悪そうな者は、信心決定とか信心獲得とかを喧しくいうそうだが、そもそも信心って何?と聞いても答え切る人に会ったことはない。あほである。

夜明けさしてもろたかや

『安心決定鈔』に、

たとへば日出づれば刹那に十方の闇ことごとく晴れ、月出づれば法界の水同時に影をうつすがごとし。月は出でて影を水にやどす、日は出でて闇の晴れぬことあるべからず。かるがゆゑに、日は出でたるか出でざるかをおもふべし、闇は晴れざるか晴れたるかを疑ふべからず。

と、あるが、太陽がのぼれば夜の闇は去るのである。
心の闇が去るから日が昇るのではない。

日が出るから闇が開けるのであって、断じて闇が開けるから日がのぼるのではない。

夜明けさしてもろたかや

はい、なんまんだぶつが出来上がったから、林遊の案じることではありませんでした。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、やったね。
>>引用終了。

生きる意味とか死ぬる意味とか、百年考えても答えがでない問いなのだが、親鸞聖人が示して下さったのは、如実修行相応の、なんまんだぶであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

畏怖心の去らぬ者

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凡夫の定義に「畏怖心の去らぬ者」という言葉がある。
生きることに怯え、びくびくおどおどとして生きる者を凡夫というのである。
ようするに、あり得べき生き方の方向が見出せないから不安にさいなまれ、畏怖するのであろう。
法然聖人は、そのような「畏怖心の去らぬ者」に対して、

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。『和語灯録』「往生大要鈔」

と、「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」と示して下さった。
なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この自らの耳に、なんまんだぶと聞こえる声について往生が決定したとおもえということである。凡夫は、自らの力では、生きることの意味や死ぬことの意味が判らない。その凡夫に対して、お前の人生は仏陀のさとりの世界である浄土へ往生する為の生であるというのである。
梯實圓和上は、この「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」の法語を引いて、なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この耳に聞こえる なんまんだぶは、阿弥陀様が大丈夫だいじょうぶと仰っている仏のみ言葉なのですよ、とお示しくださったものだ。

日本語の、事(こと)は言(こと)に通じるのだが、念仏(なんまんだぶ)は、まこと〔言〕に、大丈夫のこと〔言〕ではあったな。なんまんだぶと称えるなかには、無畏施という恐れなき心を施すという意味も内包している南無阿弥陀仏ちゃあ、ありがたいこっちゃな。

と、いうわけでWikiArcの→「怖畏」に追記をした。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

指月の詩

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因指見其月
 指に因って その月を見
因月弁其指
 月に因って その指を弁ず。
此月与此指
 この月とこの指と
非同復非異
 同じに非ず また 異なるに非ず。
将欲誘初機
 まさに初機を誘(いざな)わんと欲して
仮説箇譬子
 仮に箇の譬子(ひし)を説く。
如実識得了
 如実に識得しおわれば
無月復無指
 月もなく また 指もなし。

「意訳」
指で月を示すとも月で指を知るとも考えられる。
この場合、月と指は同じものではないが、さりとてちがったものでもない。
この比喩は初学者を導くため、仮に説かれるのだが、その道理がそのままわかれば、月もなく指もなく、本来無差別なることを会得するだろう。『良寛詩集』東郷豊治編著

 

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元照律師の浄土教帰入

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御開山は元照律師の『阿弥陀経義疏』等を引文されておられる。
「行巻」で引文する、

いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。(p180)

の文は、可聞可称の法として、なんまんだぶを述べておられるのがありがたい。
元照律師は、死後の安楽を願わず、何度も苦の娑婆へ生まれ変わって衆生を救済したいとの願いをもっており、当初は浄土教を見下していた。
しかし、自分が病に倒れてから分段生死でしかない己の現実に気付いて浄土教に帰したそうである。
それには、伝智顗撰(伝とは智顗撰として伝えられているという意で真撰ではないということ)とされる『淨土十疑論』が大きい影響を及ぼしたそうである。
源信僧都も『淨土十疑論』を引き、

つぶさに『十疑』のごとし。 知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。(七祖p930)

と、浄土へ往生する所以は、業因、華報、果報、本懐をあげ、往生浄土の最終目的は衆生を利益することであると云われている。
御開山も「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」とし、「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり」p834と、仰ったと『歎異抄の』著者は述べている。
最近の法話では、ひたすら救いを強調し、往生浄土ということをあまり言わない風潮があるのだが、浄土真宗は往生浄土の真宗である。《生きていることに意味があるように、死ぬることにも意味がある》、というのが浄土を真実とする宗というご法義であった。浄土へ生まれ仏に成ろうとする「願作仏心(横超の菩提心)」は、阿弥陀如来の「度衆生心」の林遊に於ける顕現であり、この如来の「度衆生心」が、林遊においての「願作仏心」としての他力の《ご信心》であった。巷間でいわれる、まるで金魚すくいのようなご法義ではないのである。

(18)
願作仏の心はこれ
度衆生のこころなり
度衆生の心はこれ
利他真実の信心なり

(19)
信心すなはち一心なり
一心すなはち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなはち他力なり

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://www.tais.ac.jp/related/ex_org/publishing/pdf_periodical/r34/34-g_yoshimizu.pdf

浄土系思想論

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高校生の頃か、爺さん(父親)の本箱にあった『親鸞の世界』という本を読んで、鈴木大拙師に興味を持ち、時折禅関係の本を読んでいたものだった。
ふと思ひ出して本棚から『浄土系思想論』を引っ張り出して読んでいるのだが、ドグマ化という視点で面白い文章があったのでUPしてみる。ドグマとは教義という意味だけど、それに囚われて教条主義に陥り自己で解釈することを放棄した立場をドグマ化という言葉で表現した。

 浄土は地球上の存在でない、弥陀は歴史上の人物でない、それ故、論理や科学で浄土や弥陀の有無を論ずべきでないと、正統派の真宗学者はいう。しかしこれだけでは知識人を納得させるわけに行くまい。歴史というもの、科学というもの、空間・時間というものを認めて、そしてそれから出るとか、出ないとか、それに依るとか依らぬとかいってはいけない。今一歩進んで、その歴史・科学・時間・空間等というものは何だということを究めてかからねばならぬ。
何故かというに、宗教生活・宗教意識、または仏教体験・真宗信仰なるものは、対象界を対象界と認識して、その上に出来たものではないのである。始めから超因果・超論理のところにいるのである。空間や時間の世界のまだ出来ぬさきのところに動くものが宗教なのである。それ故、宗教をさきにして、それから因果界に出なくてはならぬ。それを本にして論理を作らなければならぬのである。
それを見ないで、まず科学とか歴史とかを認めて、それから話を進めようとするところに、その人の非論理性があると考える。論理は当にそんな論理を言い得ないところから始められなければならぬ。

 自分等から見ると、真宗の学者は余りに宗学なるものに囚えられている。宗学成立以前に遡ることが出来ないと、宗学そのものもわからぬかとさえ思うのである。体系が出来上がると、その事実は吾等に対して異常な圧迫力をもつ。吾等のすべての思索は、その方法と内容とに於いて、それからの指図を仰ぐことになる。即ち吾等は体系の奴隷になる。先覚者のこしらえた特殊の思想的体系に対してのみならず、この自然的環境及び歴史的環境なるものに対しても、また吾等は甘んじてその奴隷となる。環境たるものに対して独自の思索をやらずに、隣の人や向いの人のいうことをそのままに受け容れて、山が高いとか、風が吹くとか、戦があるとか、千年、二千年の歴史がどうのこうのということになっている。
それも便利には相違ないが、それがため吾等はどんなに錯誤──種種の意味に於いて──を犯して、それから不安の夢に襲われているかわからぬ。一般的なことはとにかくとして、浄土教だけの中の話にしても、先進の学者が編み出した体系に吾等はどれだけ恵まれているかわからぬと同時に、どれだけまた禍せられているかもわからぬ。

 正統派の学者達は出来上がった御膳立を味わうことに気をとられて、そのものがどうしてそう組み上げられねばならなかったということを問はないようである。つまり自己の宗教体験そのものを深く省みることをしないという傾向がありはしないだろうか。お経の上で弥陀があり、本願があり、浄土があるので、それをその通りに信受して、自らは何故それを信受しなければならぬか、弥陀は何故に歴史性を超越しているのか、本願はどうして成立しなければならぬか、その成就というのはどんな意味になるのか、浄土は何故にこの地上のものでなくて、しかもこの地上と離るべからざるくみあわせにたっているのかというような宗教体験の事実そのものについては、宗学者達は余り思いを煩わさぬのではないか。浄土があり、娑婆があるということにたっている。──
これをその通りに受け入れる方に心をとられて、何故自らの心が、これを受け入れねばならぬかについて、反省しないのが、彼等の議論の往往にして議論倒れになって、どうも人の心に深く入りこまぬ所以なのではなかろうか。始めから宗学の中に育ったものは、それでも然るべきであろうが、どうも外部に対しては徹底性を欠きはしないだろうか。『浄土系思想論』p.331~333

初稿が昭和17年の書籍だから、現在の状況とは違うかも知れないのだが、一部の僧分には、依然として何故に浄土真宗であらねばならないかという自己を主体とした考察もなく「出来上がった御膳立を味わう」だけの者がいるのも事実である。

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不道、不道(言わない、言わない)

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当ブログの音声法話にある、梯和上の法話中の「道吾と漸源のエピソード」をUP。
二十代の頃に、この『碧巌録』の話を読み、不道ってどういう意味か判らずに辞書を引いた覚えがある。そして、道という漢字には「いう」という意味があることを知った。報道という熟語がある。
後年、仏道の翻訳語として、道には菩提とか智慧という意味もあることを知ったのだが、日本人は漢字を使っているくせに、漢字の意味を知らないということを痛感させられたものではあった。
と、いうわけでWikiArcの「道」の項に追記した。(*)

『碧巌録』五五の道吾と弟子の漸源の会話。

道吾與漸源至一家弔慰。
道吾と漸源一家に至って弔慰す。
源拍棺云。生邪死邪。
源、棺を拍って云く、「生か死か?」。
吾云。生也不道。死也不道。
吾云く、「生ともいわじ死ともいわじ」。
源云。為什麼不道。
源云く、「なんとしてかいわざる」。
吾云。不道不道。
吾云く、「いわじ、いわじ」。
回至中路 源云。 和尙快與某甲道 若不道 打和尙去也.。
回(かえ)って中路に至って源云く、「和尚、快(速やか)にそれがしのためにいえ、もしいわずんば和尚を打ち去らん」。
吾云。打即任打。道即不道
吾云く、「打つことは即ち打つに任すも、いうこと即ちいわず」。
源便打
源すなわち打つ。
後道吾遷化。源到石霜擧似前話.
後に道吾遷化す。源、石霜に到って前話を挙似す。
霜云。生也不道 死也不道.。
霜云く、「生ともいわじ、また死ともいわじ」。
源云。 爲什麽不道。
源云く、「なにゆえにかいわざる?」。
霜云・ 不道不道。
霜云く、「いわじ、いわじ」。
源於言下有省.
源言下に省あり。
{以下略}

現代語訳

ある日、道吾は弟子の漸源を連れ、死者が出た家に弔慰に行った。漸源はその家に着いて棺を拍(う)って、「この人は生きているのか、それとも死んでいるのか」と、師の道吾に尋ねた。
道吾は「生とも言わない、死とも言わない」と答えた。
漸源「どうして言わないのか」。
道吾「言わない、言わない」。
寺へ帰る途中、漸源はまた問うた。
漸源「和尚、問に答えて下さい。もし言わなければ和尚をなぐりますよ」。
道吾が「なぐりたければなぐっても良いが、言わない」と言うのを聞いて、漸源は道吾をなぐった。

後に道吾禅師は死去した。
漸源は兄弟子の石霜のところに行って、この話をした。
石霜は「生とも言わない、また死とも言わない」と言った。
漸源「何故言わないのか」。
石霜「言わない、言わない」。
漸源は、この言葉を聞いて悟るところがあった。
{省略された部分の意味はネットで検索されたし、説明がめんどくさいから(笑 }

この語録を見ると、『論註』に唯一現れる曇鸞大師が影響をうけたといわれる僧肇の、
天地と我と同根、万物と我と一体、
という言葉が脳裏を横切るのだが、「若不生者 不取正覚」という第十八願の言葉はありがたいこっちゃなと思ふ。

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