本願の念仏

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

ご法話などで、本願の念仏という言葉をよく聴くのだが、どうも語っている坊さんが意味も解らずに喋っているような気がする。
ここでの本願というのは因願の《因》の意で、念仏は《果》である。因である念仏往生の願(第十八願)が成就して、果としての「なんまんだぶ」となったということである。林遊を拯済(じょうさい)する本願が、果の「なんまんだぶ」として可聞可称の法として、しあがったという名号(なのり)である。

だから、なんまんだぶを称えるということは、林遊を、煩悩の迷いから拯済する本願(法)が成就したという事を聞くことでもある。これを法然聖人は、

「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)

と、云われたのであろう。なんまんだぶという「こゑにつきて決定往生のおもひをなす」のである。
深川和上は、「なんまんだぶの訳はな、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」ということだと示して下さった。
御開山は、『教行証文類』の六字釈で「しかれば南無の言は帰命なり」とし、ややこしい字訓釈を施して「ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり」と、南無(帰命)という言葉は、阿弥陀如仏が「よばふ(「呼ぶ」の未然形+反復継続の接尾語「ふ」)という意味であるとされたのも、法然聖人の意を継承された釈であった。
梯和上は、「なんまんだぶと称えることは、耳に、大丈夫、大丈夫と聞くことですよ」と示して下さった。これもまた、

「心の善悪をもかへり見ず、つみの軽重を沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと決定の信をおこすべき也」『聖全』四 p614 「浄土宗略鈔」)

と、「ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと決定の信をおこす」の、決定の信である、本願成就の、なんまんだぶであった。
林遊は、子供の頃から、ありもしない信心を求め拵えて、悩み苦しんできた多くの人を見ているせいか、いわゆる「信心正因」という信心をぶち壊し、とらわれのない虚空に解放し開放していく、なんまんだぶという声の荘厳が好きである。それが「触光柔軟」のとらわれのない「ご信心」であった。

ともあれ、本願の念仏とは、本願が成就したという名号(なのり)であり、その念仏が果となって成就したことを告げることが、なんまんだぶ、なんまんだぶと称え聞くことなのであった。これこそが、林遊を育ててくれた、野や山や市井で、なんまんだぶと称え、虚無の奈落へ堕ち、死ぬとしか思えない事象を「往生極楽」だよと「後生の一大事」を教えてくれた、なんまんだぶを称える一文不知の御同行・御同朋であった。

願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。論註 P131

浄土真宗の坊さん方よ、安心とか信心は、なんまんだぶと称えられている上で論じる形而上の理であって、事の上の実践ということを忘れると、本願の念仏という因と果の願力成就という論理が解らないですよと強く思ふ。昨今は、御開山が示された、本願の信は、なんまんだぶと成就したということを聞くということが解らないからどうでもいいけど。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

八万四千の仮門

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

過日の「念仏会」での雑談の用語のまとめ。

通常、八万四千の法門といえば釈尊の説かれた全仏教を指す。八万四千という数は八万四千の衆生それぞれに対して、応病与薬(病に応じて薬を与える)に法を説かれたからとされる。
ところが御開山は不思議な言い方をされる。例えば『一念多念文意』で、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。p690

と、八万四千の法門を仮門とされるのである。このように言えるのは、

『観経疏』玄義分の、

「依心起於勝行 門余八万四千(心によりて勝行を起すに、門八万四千に余れり。)」p300

の、「門余八万四千」をどのように理解するかという法然門下の高弟達による深い考察があったからである。

さて、この、「門余八万四千」を幸西大徳は『玄義分抄』で以下のように釈された。

「門余八万四千」トイハ一乗ヲ加テ余トス。法華経の宝塔品、此ノ経ノ下品上生等ノ文ニ依ルナルヘシ」
この釈意を梯實圓和上の『玄義分抄講述』から窺ってみる。

{前略}
「門余八万四千トイハ一乗ヲ加テ余トス」というのは、門余と八万四千とを分け、八万四千を聖道門とし、余を凡頓一乗とするのである。これは『法華経』見宝塔品第十一(大正蔵九・三四頁)に、

「若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて人の為に演説し、諸の聴者をして六神通を得しめん。よくかくの如くすと雖もまた難と為さず。我が滅後に於て此の経を聴受し、その義趣を問はば即ちこれを難とす」

というものをさすのであろう。ここで八万四千の法蔵、十二部経の法門と、『法華経』を対照し、前者よりも後者の方が難であるということをもって、爾前三乗の法門に対して、法華一乗の法門の尊高を顕わしているからである。
また『観経』下品上生の文というのは、下上品の機がはじめに大乗十二部経の首題名字を聞いたが、千劫の罪しか除くことができなかったのを、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除いて往生を得ることが出来た。そして来迎の化仏は聞経の事を讃ぜず、ただ称仏の功のみを讃歎されたことをさしていた。このように聞経の善と本願の行である称名とを対比して、称名の超勝性を釈顕されている。この下上品の経意を「見宝塔品」と対照すれば、十二部経とは八万四千の法門のことであり、称名とは凡頓一乗の法門ということになる。
こうして幸西は、諸経に説かれた八万四千の法門は調機誘引の方便の法門であり、その行体は定散であるとし、『大経』に説かれた別意弘願の法門だけが究竟の真門であって、それを門余の一乗とよび、凡頓一乗とするというのである。それにしてもこの門余の釈が、親鸞の「化身土文類」要門釈(三九四頁)に「門余といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり」といわれた門余の釈と全く同じであったことがわかる。
{後略}

後年、日渓法霖師が、

今宗の学者、 大蔵中の三部を学ぶなかれ、 須く三部中の大蔵を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 謬れるというべし。 「日渓法霖」
といい、浄土三部経を根本とし、八万大蔵経を枝末であるとされたのも、このような意を顕わそうとされたのであろう。
ともあれ、御開山はこの門余の「誓願一仏乗」を

「選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。」p737

とされたのであった。
ようするに、選択本願念仏のなんまんだぶせんかいということである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

仏教における苦について

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

浄土真宗の生活信条に、

-、み仏の誓いを信じ、尊いみ名をとなえつつ強く明るく生き抜きます。
-、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて感謝のうちに励みます。
-、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけてまことのみのりをひろめます。
-、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい社会のために尽くします。

と、あるのだが同行の坊さんと話していて、これ少し変じゃないか?と思った。
『領解文』に「このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ」と法度(はっと)が出してあるので、娑婆の生き方は人々(にんにん)各自の出来る程度に適当に過ごしていけということであろう。
そもそも仏教は「生活信条」に示すような生き方を説くのではなく、生死(しょうじ)を超える道である。弘法大師空海は、「生生生生暗生始 死死死死冥死終(生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し)」『秘藏寶鑰』(*) とおっしゃったそうだが、これが無明ということであろう。

武内義範氏は、『親鸞と現代』の中で、

 四諦は苦集滅道(くじゆう-めつどう)というこの四つの真理で、原始仏教ではそれを知らないということが、この真理に対する無知が、すなわち無明だといわれている。四つの真理のうちでまず苦ということが一番初めに出てきているが、この苦ということの意味が現代人にとっては、その理解が非常にむつかしいものとなってしまっている。というのは、われわれは苦ということの意味を本当に理解しえないような時代に生きているからである。われわれにとっては快楽とか幸福とかということが、われわれの生の自明の目的とか第一の原理になっていて、苦というものの示す真理ということを深くきわめて自省するということはなくなってきている。

と、仏教に於ける「この苦ということの意味が現代人にとっては、その理解が非常にむつかしいものとなってしまっている。」と、いわれている。
たしかに現代社会は科学という技術によって、混沌というものに目や鼻をつける役割を果たしてきたのだが、かえって仏教の持つ根源的な無明というものに対する考察を等閑にしてきたともいえるであろう。
『親鸞と現代』は、西洋哲学の視点から仏教の思想を考察しているのだが、武内義範氏は、浄土真宗の僧侶でもあるので門徒にとって同書は得るところが多いと思ふ。

→無明と業─親鸞と現代

ともあれ、百年考えても死ぬとしか思えない無明の闇を、死ぬのではなく「必至無量光明土(かならず無量光明土に至る)」という、なんまんだぶと称える浄土真宗のご法義はありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

善導大師と親鸞聖人の至誠心釈の訓点の違い。

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

MediaWikiに漢文の返り点を表示できるようにしてみたので、善導大師と御開山の訓点の違いが判りやすいようにしてみた。
智慧第一といわれた法然聖人が、

「善導において二へんこれを見るに往生難しと思えり。 第三反度に、乱想の凡夫、称名の行に依って、往生すべしの道理を得たり。」 『醍醐本法然上人伝記』。(*)

と、いわれたのは、この至誠心釈の解釈であろう。
何しろ善導大師の示される至誠心とは、阿弥陀如来が因位の法蔵菩薩であったときに三業を修した真実心と等しい至誠心でなければならないというのである。このような至誠心をもって修した行業でなければ往生は不可というのであるから、凡夫の手には全くお手上げである。
ともあれ、善導大師の至誠心釈と、法然聖人を経て御開山が訓読なされた至誠心釈を比較しやすいようにUPしてみた。

→「至誠心釈について」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

一人はみんなのために

林遊@なんまんだぶつ Post in 仏教SNSからリモート
2

算数の幾何は得意だったのだが、微分積分となったらお手上げだった記憶がある。ともあれFBで数学云々というタイムランが上がってきたので、SNSでの古い「一人はみんなのために」という書き込みをUP

チームプレーを重視するラグビーには、One For All、All For Oneということばがあるそうである。一人はみんなのために、みんなは一人のためにという意味である。

英語はサッパリ判らないのだが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉は『華厳経』来由の言葉だと思っていた。
『華厳経』では、「一即一切 一切即一。一入一切  一切入一」(一は即ち一切であり、一切は即ち一である。一は一切に入り、一切は一に入る)という、重々無尽の関係性(縁起)を説くのだが、インド人のあまりにも広大な象徴表現についていけなくて読むのを断念した(笑

そんな訳で、概説書を読んだのだが、相即相入というか、一即一切についての数による解説は面白かった。

まず、数の基底を一であると定義する。空に拘る人から数の基底はゼロ「空」であるという突っ込みがあるのだろうが、空は空に沈滞している限り空ではない。 空(ゼロ)は~へというというはたらきがあるから空なのである。空が単なる虚無であるなら、それは死んでいる。空は空を超えたところで真実の空の意味が顕かになるのだろう。御開山の仰る「本願力回向」 の世界は、そのような有→無→有の世界を描いて下さるのだ。

>>
竹村牧男著『華厳とは何か』より

さて、その『五教章』の説明ですが、異体門の相入の説明から始まります。向上数と向下数の二門がありますが、向上数は、はじめに一を中心に他の数との関係を見、次に二を中心に他の数との関係を見、そうして最後に十を中心に他の数との関係を見るものです。

向下数はその逆で、はじめに十を中心として他の数との関係を見、次に九を中心として他の数との関係を見、そうして最後に一を中心として他の数との関係を見ていくものです。以下、『五教章』の文章をたどつてみましょう。

中に於て先ず相入を明す。初に向上数に十門あり。
一には、一は是れ本数なり。何を以ての故に。縁成の故に。
乃至十には、一が中の十。何を以ての故に。若し一無ければ即ち十成ぜざるが故に。即ち一に全力有り、故に十を摂するなり。仍(よっ)て十にして一に非ず。
余の九門も亦た是の如く、一一に皆な十有り。準例して知んぬべし。

まずはじめに、一を、一から十の数の中で根本の数と見ます。一が根本となって他の数を成り立たしめると見るのです。一が他の数をつくるということは、一 が一だけにとどまらず、二となったり三となったりしていくということで、自由自在に他と融じていきます。そこを縁成の一といいます。自己の本体を持たな い、無自性の一ということです。だからこそ、他と関係しえて、関係の中で一そのものでありうるわけです。

この一があって、はじめて二もありえます。一に一を足して二ができます。もし、一が一に固定していて他と関係しなければ、一と一とがあってもそれはあくまでも一と一で、二とはならないでしょう。二となるということは、一が一を失って二に融じることです。

そのようにして、一が根本にあるからこそ、二も成立するのですが、ということは、そういう一のゆえに二が成立すること、つまり一が二を成じていること、し たがって一に全力があって、それゆえ二を一の中に摂めてしまうということになります。つまり、二は一に入ってしまうわけです。そのように、一に全力がある からこそ二も成立しますが、ということは一が二を自らに摂め、二は一に入り込んでこそ、二は二として成立するということです。

こうして、一の中に三も入って、そのうえで三であり、一の中に四も入って、そのうえで四であり、ないし十まで、このことがいえます。

一を本数として、その一と他の二ないし十までとの関係をこのように見た次には、今度は二を本数として、その二と他の一あるいは三ないし十までとの関係を同様に考察し、その次には三を本数として、その三と他の一、二あるいは四から十までとの関係を同様に考察します。

どの場合でも、本数がなければ、他(末数)が成立しない、したがって、本数に全力があり、他を摂めている、他は本数に入っている、だからこそ、他は他と して成立している、と見ていくのです。こうして、本数を一から十まで上っていって、その本数と他の数とのこの関係をすべて見ていくのが、向上数です。

ここで、一を本数としたとき、それがあればこそ他の数が成立するということはわかりやすいだろうと思われます。しかし一以外の、他のいずれかの数を本数としたとき、それがあればこそ、その他の数(末数)が成立するということは、ややわかりにくい面があります。

たとえば、五を本数としたときのことを考えてみましょう。このとき、五の中に一が入り込んでいる。なぜなら、五がなければ一は成立しない。だから五に全 力があって、一を摂めているのだ、と見ることになります。では、どうして五がなければ一は成立しないといえるのでしようか。

このわかりにくさは、一が根本であるという私たちの先入観によるものでしょう。特定の視点に縛られなければ、一から十までの十個の数があるとき、そのど れを根本と見てもよいはずです。そこで五を根本として見れば、五から四を引けば一ができるのですから、五が根本となって一が成立する、五がなかったら一も ありえない、と見ることができるのです。

そのように、華厳の世界には、視点の自在な移動・転換があります。関係の中の各々が中心になりうる、という見方があります。そこには、自我中心から世界中心へのものの見方の転換があるでしょう。

こうして、本数を一から十まで上がりつつ、摂めている・入っているという関係を見たあとは、本数を十から始めて順に九、八……と一まで下がりつつ、同様に摂めている・入っているという関係を見ていきます。

ただし、このときの説明は、「謂く、若し十無ければ即ち一成ぜざるが故に、即ち一、全力無うして、十に帰するが故に」という説明になっています。これは 摂める側(本数)でなく、摂められる側(帰する側、入る側、末数)を主としていっているもので、前の説明を裏側から見たものです。

こうして、すべての数に、他のすべての数が入っていて、しかも各々の数として成立していることになります。ここが相入ということです。それぞれの数が他 に入りかつ他を摂めているというところに、自己の本体を持つものでない、縁成のものであるということがあります。それぞれがそのような特質を持っているが ゆえに、関係ということが成立するのであり、関係が成立しているとすれば、関係するものはおよそこのような特質を持っているというのです。
>>

[2011/10/19]

念仏会(ねんぶつえ)

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

過日「聞見会」の念仏会(ねんぶつえ)に参加してきた。会といっても通常は同行の慈海坊さんと二人しかいないのだが、珍しく参加者がいて三人で、なんまんだぶを堪能してきた。
念仏会といっても、いわゆる『観念法門』にいわれる『般舟三昧経』のような観念仏ではなく、ひたすら口に、なんまんだぶと称える念仏会である。寝そべって称えようが端座合掌して称えようが、五体投地して称えようがかまわない各自が勝手に、口になんまんだぶを称える会である。
合間にご法義の話を挟んでの二時間であるが、世間の目から見れば奇異に見えるだろうと思ふ。
浄土真宗では称名は讃歎行である。大谷派の金子大榮師は、浄土というのは音の世界、音楽の世界ですと示して下さった。はじめて読んだときには意味が分からなかったが、『浄土論註』下で「荘厳妙声功徳成就」を釈して「此是国土名字為仏事(これはこれ国土の名字、仏事をなす)」という句をみて少しく分かったように思えたものだった。
ともあれ一人でつぶやくような、なんまんだぶもあるし、他者と時間を共有して称える讃嘆行としての念仏も、またありがたいものである。
そのような意味でかって読んだ、武内義範著『親鸞と現代』「行為と信仰」から、象徴的行為としての念仏についての文を引用しておく。

上述のごとく『教行信証』の『行巻』の初めでは、行ということは「無碍光如来の名(みな)を称するなり」とされている。すなわち念仏を称えることとして、最初に概念が規定されている。その意味ではあくまで能行としての行を問題にしているが、親鸞はその能行としての行を「諸仏咨嗟の願」、すなわちすべての仏が阿弥陀仏の名号を讃めたたえるという第十七願から出ていると考えている。その場合に第十七願から出ているとして考えられる行の概念は、さきの単なる能行としての念仏の行為というものよりは一層広く一層深い意味に解釈されていて、称名という行為はいわば象徴的な行為となってくるように思われる。

すなわち能行としての行は、そのままそれが象徴的行為として、すべての仏、一切の衆生、一切の世界のありとあらゆるものが仏の名をたたえている、その全体の大きなコーラスの中に流れ入れ込み、融入している。阿弥陀仏の名をたたえることが、大いなる称名の流れのなかに、つまり諸仏称揚、諸仏称讃の願の内容に流れ入っている。そこでは、行の意味は単にひとりの人間の行為ではなくて、その行為自身が実は深い象徴的な根底をもっていることとなる。だからその行為によって、象徴的な世界が開かれて、私自身の称名の行為がその象徴的な世界のなかに映されている、とそういうふうに考えられる。

家の爺さんや婆さんは、「声によるお荘厳」ということを言っていたが、衆生の称名が、諸仏の称名に巻き上げられて「諸仏称名 衆生聞名」と聞こえてくれる世界もあったのであろう。ありがたいこっちゃ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

法然聖人の信心論

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

日本人に全く新しい仏教があることを示して下さったのは法然聖人である。
一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故(一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故に)というシナの善導大師の「散善義」の「順彼仏願故」の文に邂逅した法然聖人によって開創されたのが日本浄土教である。
天台大師は『法華玄義』で、《教》とは「聖人、下にかむらしむ言(ことば)なり」(大正蔵三三、六八四頁))といわれたそうだが、そのような意味で法然聖人は、聖人なのである。だから御開山は法然聖人とお呼びし、その弟子も法然聖人とお呼びしてきたのである。あの一宗を立てようと画策した覚如上人でさえ御開山の呼称を上人と呼んだり聖人と呼んだりのゆれがあるのだが、法然聖人については常に聖人である。江戸時代に入って宗派根性から法然聖人を法然上人と呼称するようになったのだが、これは御開山の意図と逸脱しているとしか思えん。
ともあれ、真摯に法然聖人の回心の原点に帰ってみることも必要だと、なんまんだぶ育ちの門徒は思ふ。
そもそも、釈尊は浄土思想を説かなかったし、所依の大乗経典そのものが釈尊金口の説法ではない。しかし、仏教とは仏になる教えであるから、仏を生み出さないなら看板倒れである。そのような意味で法然聖人は、越前の田舎の愚昧な浄土門の門徒である林遊にとっては、なんまんだぶを教えて下さった日本が産んだ仏陀であり、御開山親鸞聖人もまた、なんまんだぶのご信心を教えて下さった仏陀である。
(99)
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ

とにかく、御開山がおっしゃるように、浄土真宗(教法名)の元祖は法然聖人である。であるから、本当の御開山親鸞聖人を理解する為には、法然聖人の教学を窺うことが大切であると思ふ。というわけでちょっと難しいが、入手が困難な梯實圓和上の名著『法然教学の研究』から、第二篇 法然教学の諸問題の「第三章 法然聖人の信心論」の一部をUPした。元の本には読下し文がないので、長い漢文は適宜読み下し分を追記しておいた。
また、参考文献にはリンクを張っておいたので重層的・立体的に法然聖人の信心論を窺うことができるであろう。(元々林遊の勉強用のWikiではあるのだが……)

→「法然聖人の信心論」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

法然教学の研究

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、おっしゃっている。
御開山は「仏願の生起本末」ということをおっしゃったが、出来上がったものだけを聞くだけでは真意はつかめませんという意であろう。そのような意味では法然聖人のご法語を拝見することも意味あることである。とくに醍醐本『法然聖人伝記』や『三部経大意』等は大正時代に明らかになった書であるから、法然聖人の思想を学ぶには大事な意味があると思ふ。また『西方指南抄』などももっと読まれてよいだろう。
深川和上は、御開山は法然聖人の弟子であるから『教行証文類』は法然聖人の言葉で埋め尽くされてもよいのである。しかるに「行巻」で、『選択本願念仏集』の冒頭の「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」の標宗の文と結論である「三選の文」だけしか引かれておられない。これは『選択集』の最初と最後をあげることによって『選択集』を全文引文する御開山のおこころである。だから『選択集』はもちろん、七祖のお聖教にも目を通しておきなさい、とおっしゃったものである。林遊は漢文も解らず、仏教学も真宗学も無縁な田舎の一門徒だが、さいわい西本願寺が出版した注釈版の聖教を手にしてから、なんまんだぶの味わいが深くなったように思ふ。

ともあれ、「法然聖人による回心の構造」については前述の『法然教学の研究』からの抜粋をUPしてある。法然聖人を回心せしめた「順彼仏願故(かの仏願に順ずるが故に)」の考察である。
この「順彼仏願故」とは、なんまんだぶを称える行業は、阿弥陀如来が本願によって選択したもうた行という意味である。阿弥陀如来が選択摂取した本願の行であるならば、行者のがわからは何も付け加える必要はない。その付け加える必要のないことを『選択本願念仏集』では不回向といい、御開山は『教行証文類』で、七組や他宗の祖師方の文をも引文し、結論として『選択本願念仏集』引文のニ文におさめて、「あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし」p.186と、決釈されたのであった。

この法然聖人の示された、不回向ということは、実は阿弥陀如来の本願力回向ということであると領解し展開されたのが御開山であった。それを示唆したのが、御開山の思想遍歴の悪戦苦闘の末に出あった、曇鸞大師の『浄土論註』の「今将談仏力(今まさに仏力を談ず)」の文であった。この文によって法然聖人の「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」p.1197とは、実は、阿弥陀如来の本願力の躍動する世界を表現している言葉なのだと御開山は領解されたのであった。

そのようなわけで、御開山の本願力回向という思想の淵源となった、法然聖人の「不回向」を論じている梯和上の『法然教学の研究』から、UPしてある「正雑二行の得失」への抜き書へリンクしておく。

→「正雑二行の得失」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

『玄義分抄講述』

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
0

梯實圓和上の幸西大徳の『玄義分抄講述』のUPしてあった一部に追記した。
『玄義分抄』は梯和上が「序分」中で、
 わずか全文六十八丁の短編の著作であるが、その義理の深遠なることは驚嘆すべきものである。それは単なる「玄義分」の注釈書ではなく、むしろ「玄義分」をとおして大徳の独創的な浄土教思想を表明したものといった方がよかろう。あるいは法然聖人の教学の特徴である廃立義を究極までつきつめた書であるともいえよう。
と、言われている。
そのような意味では、浄土三部経や善導大師、法然聖人の著作を読んでいないと、その深遠なる玄義の意味が解らないのかも知れないと思ふ。そもそも安居の講本(平成六年度)なので遠慮会釈なく教義概念の専門用語が飛び交うし、漢文も頻出するので、初めて読んだときには意図を理解するのが困難であった。
ただ、御開山の思想と非常に近いので、読んだときには選択本願念仏の行を強調する法然聖人と、その行から信を開いて信心正因を強調する御開山とのあいだのミッシングリングリンクを見つけたようで感銘したものではあった。
信心は仏心、浄土の菩提心、一乗思想、浄土の真仮、仏智疑惑の誡めと明信仏智、真の仏弟子、現生正定聚などという真宗のテクにカールタームの指し示すものが判ったと思ったものであった。なお、浄土教の教説に隠顕をみるという発想は幸西大徳が嚆矢である。その他にも御開山独自の思想とされてきたとされる思想に共通する概念は多いから法然門下で同じグループに属しておられたのであろうと思ふ。

ともあれ、「聞くところを慶び、獲るところを嘆ず」るためにUPしてみた。

→『玄義分抄講述』の幸西大徳の一念義

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

梵声猶雷震

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
1

ある時、ご法話の後で、茶話会があった。
冒頭、中年の女性が、
今日の話はよくわかりました。胸にしみるようないいお話でした、と述べた。
とたんに和上が、
あんたぁ、あんたの頭がわかってどうなる、あんたの胸にしみてどうなる、そんな話しをしてるんじゃないんだよ。何と驚くべきご法義であったかと、梵声猶雷震 1、まるで雷にうたれるんだ。
わかったとか胸にしみたとかは、あんたは、あんたの受け取り方を云うとるんじゃろ。ご当流は阿弥陀さまの全分他力のご法義じゃから、そのようなものは使いません!!

ちょっと恐かったけど、浄土真宗のご法話とは、このようなものであるかと、領解した二十数年前の夏であった。
聴聞に慣れてくると、聞いた法を表現をするのにいろいろな言葉を使う。そして、聞いた法を、頭とか胸(心)とか腹という身体的表現であらわすことが多い。

よく、わかった、というのは頭で理解した表現。この場合のわかるには、分かる、判る、解るの三種があるのだが、仏教的には教理の体系が解るということである。ただ、浄土真宗の場合は釈尊の覚りの内容を、いわゆる小乗仏教、大乗仏教(聖道)、中国浄土教、日本浄土教という前者を止揚した歴史的展開の上で成立しているので、御開山の真意を理解するには仏教概論とか七高僧の著書の学びが必要であろう。

身体的表現で一番多いのが、胸を突かれるとか、胸が一杯になるというような、胸という言葉に相当する感情表現である。浄土教そのものが、情意的感情に訴える部分が多々あるので、情緒表現をとる例が多い。感情は頭で思惟する理より深い部分があるので、勢いこのような表現が多くなるのであろう。ただ、感情は正確にコントロールされていないと一時の激情に駆られ「バクティ(信愛、ときに狂信)という熱情的な絶対帰依感情に陥る恐れがある。浄土系新興教団の教祖である某氏のいう「堕ちるままのただのただじゃった」云々というのがそれである。感情移入による臨在感的把握の絶対化である。
このような激情はすぐに消えうせるのであるが、自己の内部に確信という救済の体験を求める輩は飛びつくことが多い。

三番目の腹を語頭とする、腹におちるや腹がすわるという表現は、前二者を包含し超越した不動である意が感じられる。禅仏教では、死んだ気になって一切の自我を捨てて仏道に身をささげることを「大死一番」という。浄土仏教では、善導大師の「前念命終 後念即生」の語から、大谷派の曽我量深師などは「信に死し願に生きよ」という。古い私は死んだ、新しい私の甦りという意であろう。宗教とはある意味で死と再生を説くのだが、汝は如来の子であるという本願の言説の前に死と甦りがあるのである。
もちろん浄土真宗は凡夫の宗教であるから、煩悩に騙されて日々をおくるのだが、腹の底から、なんまんだぶと称えられ聞こえた声に腹を据えるのが本願の呼び声であった。

というわけで、今まで聞いた、よく使われるタームを、頭・胸・腹に分けてみた。

《頭》
わかる(分・判・解)、理解する、考える、合点する、観念する、領解する、使う
《胸》
思う、すく、つぶれる、一杯になる、しみじみする、焦がす、熱くなる、突かれる、裂ける、詰まる、焼ける、あたる、はれる、うつ、つかえる、しみる
《腹》
おちる、すわる、入る、響く。

この三種の中で、聴聞の経験上では、男性は《頭》で聞く者が多く、女性は《胸》で聞く人が多いように思ふ。もちろん話者が語る内容にもよるのだが、最近はドカンと腹におちる話をする布教者が少なくなった。
「嘘は常備薬、真実は劇薬」という言葉があるが、小手先のおためごかしではなく、生死(生まれ変わり死に変わりの輪廻)を超える、本当の話が浄土真宗の法話であろう。仏教の輪廻説は信じられなくても、死という厳然たる自己の真相である事実の前では、あらゆるものは色あせ虚無への墜落でしかありえないのである。生まれたからには死ぬのが必然である。この死を往生と示すのが浄土真宗というご法義である。
お寺のご法座の場は、嘘だらけの世間の話ではなく、劇薬である本当の話をする場であるべきなのだが、世俗に迎合した、為になる話が多すぎると思ふ。

死にたくないが、死なねばならぬ、死なねばならぬが死にたくない、死にたくないが、死なねばならぬ……と、生死に呻吟している凡夫のためのご法義なのだから。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

Notes:

  1. 梵声猶雷震(梵声はなほ雷の震ふがごとし)。『無量寿経』往覲偈の文。