空念仏

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なんまんだぶを称えて、生と死を超えるという、まさに、驚天動地の説をとなえたのは法然聖人であった。そのなんまんだぶを称える行為を、仏説に随順する「信」であり、願作仏心として浄土教における信を確立されたのが御開山であった。
いわゆる、浄土教における信心とは仏心であると、教行証から信を別開されたのが御開山である。なんまんだぶを称えるという行から信を別開されたのは、『浄土論註』によって本願力回向の行信から、必然に生じるのであるが、口に、なんまんだぶと称える行為(行業)を信であり、生と死を超える行(おこない)とされたのは、法然聖人の指示によって御開山が得られた結論であった。いわゆる、なんまんだぶを称えて仏になるという、あらゆる存在を仏に成らしめるという、大乗仏教の至極のご法義であった。
『大阿弥陀経』には、「わが名字をもつてみな、八方上下、無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」と、あり、空飛ぶバッタの蜎飛や、地に蠢く蠕動のミミズのたぐいも、ひとたび仏の名号の、なんまんだぶを聞いて浄土に往生せずば仏に成らんとされたのが、阿弥陀仏という仏である。
しこうして、なんまんだぶを称えることで往生成仏する、ということはありえんと、空念仏ということを論じる釈に出逢ったので、暇つぶしに読み下してみた。
「但空念仏。如何生彼」という疑問を呈する1400年ほど前の慈恩大師が著されたとされている『西方要決』なのだが、法然上人は依用されること多しだが、御開山はあまり用いていなさらないのが、御開山の描いていらっしゃる信心の描く浄土なのだろと、思っていたりもするが、どうでもいいか(笑

そんなこんなで、林遊の中学生の漢文理解能力において、少しく『西方要決』の一部を訳してみたのだが、但空念仏に関しての、浄土真宗を標する、プロのお坊さんに領解を聞きたいと思ってたりもする。

以下、『西方要決』の、「但空念仏」へのリンク(*)

 

 

なんまんだぶのご法義

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漢文と、その読み下しと現代語を合わせてお経を読んでたりするのだが、異質な言語である漢文を訓点を付けて、日本語で読もうとするってむちゃくちゃ天才のなせる技だと思ふ。
漢語は孤立語だから、一語一語に重層的な意味を持っているのだそうだが、よく、我々の先輩方は、異なった言語によって表現されている、仏教の描く世界を日本語で示して下さったものだと、少しく驚嘆していたりする日々ではある。

往生之業 念仏為本。法然聖人も御開山も、これが結論なのだが、なんまんだぶを称えたことのない、観念の遊戯をし、ありもしない信心とやらを求めることを材料にして、不浄説法をしている坊主の多いことは困ったものだ。いわゆる口説の芸能の徒なのだが、御開山聖人の報恩講(凡夫が仏になるという、阿弥陀如来の平等の大悲を説かれた恩徳の一分でも報謝する真似事をさせてもらおうという、浄土を真とする宗の行事の時期に沸いてくるので、少しく苦言を弄してみた。

浄土真宗とは、往生浄土を真とするご法義であり、第十八願の乃至十念の、なんまんだぶを称えるご宗旨であって、なんまんだぶを称えない者を浄土へ迎え取るというご法義ではないのである。

このご法義は、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらす」るご法義なのである。信心とか安心とは、なんまんだぶを称える上で論じる、暇つぶしであろう。多分、御開山から叱られるであろうが、あなた様の見ておられた阿弥陀如来より回向された信心の世界は、窺う術(すべ)もないのであって、あなたの著された書物によって、その片鱗を窺うしかないのである。
御開山の見ておられた仏陀の覚りの世界は、窺うこともできない世界ではあるが、その世界から、林遊に、なんまんだぶと届いている世界から、御開山の感得せられたいた世界を、少しだけ窺うばかりである。

何はともあれ、信も行も、なんなんだぶにおさめて下さってあるご法義は、ありがたいことではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、これ最強だな。

 

阿弥陀さまの大悲

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中国残留孤児の話で、親を探すのではない、親に探されるということを当ブログで書いた。(*)
私が仏さまを探すのではない。仏さまが私を探し続け呼び喚け続けていて下さったという話しである。このご法義は、林遊が阿弥陀さまを知るのではなく、阿弥陀さまが林遊を知って下さるご法義である。以下、梯實圓和上の言葉をUPしてみる。

阿弥陀さまの大悲

 法然聖人において、回心以前の大悲観と、回心以後の大悲観は異なるのでしょうか。

 そうですね。やはり異なっているでしょう。それは自分自身が大悲に包まれて、そのなかで味わっていることと、大悲を外から味わっているというのとの違いがあります。
どこが違うのかといますと、お慈悲は私が知るものではなくして、私はお慈悲に見護られているということが味わえるようになっています。私は仏さまを知るものであり、お慈悲を知るものであると考えている時は、わからないことが苦になります。
しかし、私は知るものではなくて、常に知られるものであり見護られている者であると気付けば、知らないことが苦にならず、忘れたことも苦にならず、また聞かせていただき、知らせていただくことを楽しむようになります。
こういった違いが出てくるかと思います。このことはとても大事なことなのでございますので、よく味わっていただきたいと思います。

果てしなき求道という道で苦しんでいる方に、よく味わってもらいたい文章である。本当に安心できるものに出遇えたから、安心して不安でいられるのであるが、なかなか判り難いことなのだろうな。

才市さんは、なんまんだぶが出来たから、我が案ずることはないと言われたそうだが、往生の一段について案ずることはないのである。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、この林遊になんまんだぶを称えさせる力が林遊を浄土へ生まれさせる力であった。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

観経を読む

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中国撰述説もある『観経』だが、善導大師の『観経疏』によってその様相が一変している。善導大師は、この『観経』を解釈するについてあらかじめ経の要義を「玄義分」(*)一帖に著されておられる。まさに奥深い玄妙な義意を開いて見せて下さるのであった。
『観経疏』は『観経』の注釈の疏であるが、善導大師は『無量寿経』の四十八願に立って『観経』を解釈され、「玄義分」で七門に分けて、その釈意を述べておられる。
これは、一見観仏を説くようにみえる『観経』だが、その源底は『観経』の流通分に「汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」(*)(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)とある文によって、『観経』は阿弥陀如来の四十八願をあらわす経典であると見られたからであった。
なお、善導大師は、四十八願の一つひとつに第十八願があるとみられていた。ゆえに「深信釈」では「二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」(*)と、四十八願によって第十八願をあらわしておられた。このことは「玄義分」の次の文で判る。

一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と。 いますでに成仏したまへり。 (*)

そして、『観経』は釈尊のと、阿弥陀仏のいをあらわす二尊の意図をあらわす経典であると見られたのである。たまたま提婆達多と阿闍世の逆害によって、悶絶号泣する韋提希の致請によって釈尊は、韋提希にも理解できるような衆生の上での因果である行じて証するという要門の教えを開かれたのであった。
しかるにその玄底には、衆生の理解するような因果を超えた、阿弥陀仏の別意の弘願があるとされたのである。これは、玄義分の以下の文で判る。

たまたま韋提、請を致して、「われいま安楽に往生せんと楽欲す。 ただ願はくは如来、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」
といふによりて、しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。(*)

この衆生の因果を超えた救いの、阿弥陀如来の救済については、当ブログの「自業自得の救済論」(*)でも少しく述べたが、詳細は梯實圓和上の「真仮論の救済論的意義」(*)に詳しいので参照されたい。

なお、御開山は林遊の管窺によれば『教行証文類』では『観経』の文を三箇所で引文(信巻1、化巻2)されておられるだけで、ほとんどが善導大師の『観経疏』からの引文である。その引文も訓点を替えて引文されて、全く新しい御開山独自の世界を拓いておられるので、めちゃくちゃややこしい。まさに信心の智慧によって拓かれた世界であるとしかいえないのである。

そんなこんなで漢文の『観経』を読んでいるのだが(*)、『観経』の科文を『観経疏』の科文にリンクしてみた。ほとんど利用する人はいないだろうけど、自分の学びの手段としてだから、まあいいとしよう。

往生之業 念仏為本。なんまんだぶ、なんまんだぶである。

略論安楽浄土義

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なんまんだぶのご法義では、仏願の生起本末ということをいうが、祖師方の過去の著述を読むのもありがたいことである。
と、いうわけで1500年ほど前の『略論安楽浄土義』の読み下しをUP。(*)
以下、適当に書いた『略論安楽浄土義』の説明から。

 浄土真宗の第三祖曇鸞大師(476-542)が撰述されたものといわれるが定説はみていない。親鸞聖人の著述には曇鸞大師作の『浄土論』、『讃阿弥陀仏偈』などを多く引文されるのだが、この『略論安楽浄土義』からの引文はない。なお、法然聖人(1133-1212)は、この書を曇鸞大師のものと見ておられたことは、親鸞聖人撰述の『西方指南抄』の引用の例などから判る。また、存覚上人は、『六要鈔』や『真要鈔』などで曇鸞大師のものとして引用されている。
『大経』の三輩と『観経』の九品を輩品開合(はいほんかいごう:観経の九品段は三輩を詳しく説き開いたものであり、大経の三輩段は九品を合わせ説いたということ)などが記述されており『大経』と『観経』の関係を見るうえで参考になる。また、親鸞聖人が問題とされた仏智疑惑による「胎化段」については、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智についてそれぞれ論じられているのは興味深いものがある。

浄土の荘厳の説明に『浄土論』の三厳二十九種を簡潔に述べられ、報土へ往生浄土する三輩と、その三輩に入らない仏智疑惑の輩(不入三輩)を分類されいる。
いわゆる、阿弥陀仏の報土中に「辺地」と「胎生」を明かし、自らの罪福を信じ善本を修習する者の往く処であるとする。
御開山はこれを化土とされ、自らのなした罪福(因に返せば罪は悪で福は善)に囚われ、本願力回向の仏智を信じない者を誡められた。
この書には、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を挙げ、それぞれに解説されておられる。

 

唯請定善、自開散善

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漢文は造語力があるので言葉の定義をするのに便利である。

唯請定善、自開散善という言葉は、浄土真宗における『観経』解釈上のテクニカルタームである。『観経』は、誰が読んでも定善散善を説かれた教典である。(各用語の説明は用語にリンクが張っておいた)

この言葉の生まれた背景は、『観経』に息子の阿闍世のクーデターによって、夫の王である頻婆娑羅が幽閉され、王妃である韋提希自身も牢獄(閉置深宮不令復出)に置かれる。その悲嘆する韋提希の願いをどのように解釈するかにある。

いわゆる、釈尊が光台現国の中にあらわされた十方諸仏の浄妙の国土の中から、韋提希が極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれたいと願い、その浄土へ生まれる為に「唯願世尊 教我思惟 教我正受」(やや、願はくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ)と、思惟と正受を請うたことからはじまる。

この思惟と正受については、『観経疏』玄義分(*)に詳しい。

御開山はこの思惟と正受を、「教我思惟といふは、すなはち方便なり。教我正受といふは、すなはち金剛の真心なり。」(*)とされ、回向される阿弥陀如来のご信心を正受するとことであるとされた。『観経疏』の帰三宝偈にある「正受金剛心」(まさしく金剛心を受け)(*)から語を採られ『正信念仏偈』で「行者正受金剛心」と讃詠される所以である。

さて、『観経』には、定善と散善という二種類の異なる行法が説かれているのだが、仏の本意は何であるかを定義するのが、唯請定善、自開散善という言葉である。

善導大師は、「諸仏大悲於苦者」(諸仏の大悲は苦あるひとにおいてす)(*)という立場に立脚して『観経』の解説書『観経疏』をあらわされておられる。

そして、常没の衆生に、定善という行じ難い観法が説かれているのは、韋提希が釈尊に請うたからであるとされた。これが唯請定善(ただ定善を請ふ)という言葉である。また釈尊の本意は自開散善(自らは散善を開く)、つまり釈尊自らの説きたかった往生の行法である。

このことは、

問ひていはく、定散二善はたれの致請による。
答へていはく、定善の一門は韋提の致請にして、散善の一門はこれ仏の自説なり。(*)

や、

また向よりこのかた、韋提上には請ひて、ただ「教我観於清浄業処」といひ、次下にはまた請ひて「教我思惟正受」といへり。 二請ありといへども、ただこれ定善なり。 また散善の文はすべて請へる処なし。 ただこれ仏の自開なり。 次下の散善縁のなかに説きて、「亦令未来世一切凡夫」といへる以下はすなはちこれその文なり。(*)

から解るし、また重ねて、

前には十三観を明かしてもつて「定善」となす。 すなはちこれ韋提の致請にして、如来(釈尊)すでに答へたまふ。 後には三福・九品を明かして、名づけて「散善」となす。 これ仏(釈尊)の自説なり。(*)

という文から解る。

ところが、法然聖人や御開山は、この『観経』に説かれている定善と散善の他に、弘願という『無量寿経』の第十八願が説かれているのだと見られた。その根拠となるのが「玄義分」にある、要弘二門判である。

しかるに衆生障重くして、悟を取るもの明めがたし。 教益多門なるべしといへども、凡惑遍攬するに由なし。たまたま韋提、請を致して、「われいま安楽に往生せんと楽欲す。 ただ願はくは如来、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」といふによりて、しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。(*)

このことについては当ブログの「廃悪修善」で少しく述べた。
要するに法然聖人は御開山が著された以下の『西方指南鈔』で上記の玄義分の文を釈し、

又云、『玄義』に云く、「釈迦の要門は定散二善なり。定者(は)息慮凝心なり、散者(は)廃悪修善なりと。弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生」といへり。予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り。(*)

と、息慮凝心の定善と廃悪修善という要門の他に、安楽の能人(阿弥陀仏)のあらわされた別意の弘願(第十八願)が説かれているとされたのである。いわゆる、『観経』流通分の「汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)から、『観経』は、なんまんだぶを勧める経典であると見られ、この、なんまんだぶを称える行法こそが阿弥陀如来の仏願に順ずる順彼仏願故とされたのである。

まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。
一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。(*)

一見すると、定善という観法と散善という廃悪修善が説かれているように見える観経であるが、仏意にしたがってその玄底を窺えば、『観経』は、なんまんだぶ一行の弘願が説かれていると、選択本願念仏が説かれていると、法然聖人は見られたのである。

これを受けられたのが御開山であり、本願力回向の行信として顕されたのが『教行証文類』であった。以下の三心結釈において、非定非散(定にあらず散にあらず)とされた所以である。

 おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。(*)

『観経』で定善を致請したのは韋提希であり、それを機縁として定善に堪えられない者の為に散善を説かれたのが釈尊であった。その定善と散善を説く中に、定善・散善を超えた別意の弘願を読み取られたのが御開山である。そして、『無量寿経』の教説に拠って第十九願は『観経』の所説を解釈されのものとしたのが、「三願真仮論」(*)であったのである。それにしても、阿弥陀如来の本願に真仮があるとは、とうてい常人には窺え知ることの出来ない領域であるが、信心の智慧によってのみ感得出来る世界であるのだろう。

林遊には窺うすべもない世界であるが、そのような世界から行となり信となって、なんまんだぶと口に称えられ届いているのはありがたいことではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、往生之業 念仏為本。

 

 

難しいことをやさしく

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難しいことを やさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、とは井上ひさし氏の言葉だそうだ。

なんまんだぶの、ご法義は「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」(『歎異抄』)という、実にやさしい教えである。
で、このやさしいことを深く味わおうとすると、途端に難しくなる(笑
なぜ難しくなるかといえば、浄土真宗で使われる言葉は人間の側で使われる言葉ではないからである。
梯和上は、
「お聖教」は、言葉を超えた聖智の世界から言葉となって我々に届いてきた、ということを無着菩薩は『摂大乗論』に「最清浄法界等流」という言葉で表されています。{中略}
「最清浄法界等流」最も清らかな真理の領域から流れ出てきた言葉、それが「お聖教」である。(*)

と、言われておられるように、言葉を超えた最清浄法界の覚りの世界から等流する言葉であるから理解することは不可能である。

ただ、その言葉を受け入れて、その言葉が拓く世界を、言葉によって味わっていく世界であろう。御開山が「真仏土巻」で、飛錫の『念仏三昧宝王論』を引文され、「説より無説に入り、念より無念に入る」(*)と言われたのもその心であろうか。

何はともあれ、その難解な言葉を、難しいことをやさしく(全然やさしくないのだが)示して下さった祖師方の指南にしたがって、深いことを面白く、面白いことを真面目に、心のゆるみをもって学んでいくのも、このご法義の御恩報謝の楽しみではある。

そもそも、浄土真宗における信心とは、固く頑なに思い込む信ではなく、自らを解放していく信なのである。
御開山が「信巻」の真仏弟子釈で第三十三願、触光柔軟の願を引文されておられるが、「わが光明を蒙りてその身に触るるもの、身心柔軟にして」(*)とあるごとく、また『論註』の「善巧摂化章」に柔軟心(*)とあるように、自らの妄想にこだわらない生き方でもあるのだろう。

そんなこんなで、祖師方の著された聖教を、あれこれ拝読しているのだが、拝読すればするほど、真如のさとりの世界から、なんまんだぶと口に称えられ、林遊をしてやがて還相の菩薩たらしめんという名号が、ありがたいことである。

仏になるという途方も無い、難しいことを、やさしく、なんまんだぶを称えることだけと示し、そのやさしいことを深く説かれ、深いことを智慧の光によって自らの面(おもて、顔、目の前)が白くなるように面白く、面白いことを真面目に、我が名を称えよと示されるご法義は、ありがたいことである。
法然聖人は、
聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。(*)『西方指南鈔』の「浄土宗大意」
と、仰せだが、阿弥陀如来の本願(第十八願)を受け容れて、一人の愚者として、なんまんだぶを称え慶ぶまでに育てて下さったのは両親を初め、なんまんだぶを称える同行ではあった。

阿弥陀様の前で、世間怱々たる中で合掌して、なんまんだぶを称える姿によって、ご法義を相続して下さった御同朋・御同行ではあった。ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

 

 

六字釈

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言南無者即是帰命(ごんなもしゃそくぜきみょう)
亦是発願廻向之義(やくぜほつがんえこうしぎ)
言阿弥陀仏者(ごんあみだぶつしゃ)
即是其行(そくぜごぎょう)
以斯義故必得往生(いしぎこひっとくおうじょう)

いわゆる善導大師の願行具足の六字釈だが、和上の声が耳の底に残っている。最初はなんのこっちゃであったが、少しくお聖教を拝読しているうちに意味が取れるようになった。ありがたいこっちゃな
ちゅうわけで、この六字釈の因となった『攝大乘論』と『攝大乘論釋 』の別時意趣をUPしてみた。(*)
ちなみに御開山の六字釈は、本願力回向という宗義から、なんまんだぶつの主体を阿弥陀如来の方から語られているので、善導大師の「願行具足論」とは少しく趣が違うのだが、善導大師の六字釈も約仏に徹して読めば意は同じだな。
なんまんだぶは、林遊が行ずる行ではなく、阿弥陀如来が林遊をして仏にならしめんとして林遊の口をして行じさせる行であるから大行なんだな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、やったね。

 

四馬の譬(たとえ)

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『涅槃経』を斜め読みしてたら、四種の馬の話があった。
昔、お説教で聞いた、仏道に入る機根の違いの話なので、少しく調べたら『雜阿含經』に出拠があるようなので早速SATでチェックしてみた。
いわゆる、仏道に入るには人によってそれぞれ違いがある。その個性の違いを、馬と鞭杖の関係であらわしている譬えである。
面白いのは、機根の違う四種類の馬はすべて良馬となっている事だ。ともすれば宗教の名の下で、あの人はよく分かっているとか、この人は今一つ理解が進んでいないなどと、それぞれの人の機根の違いを論じやすい。
しかるに、一たび仏道に歩みだした人に差はないのである。それが四種類の機根の違う馬を良馬というのであろう。

我が浄土真宗のご法義においても、各人の機根の違いは問わないのである。それぞれのご信心の領解の深浅を問題にするならば、それは信心の深浅が救済に関与することになってしまうであろう。このような信心の深浅によって差を付けることは、各人の能力に応じた公平な救済ではあるが、阿弥陀如来の「凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近、」(*)(おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず)の善悪平等の救いではない。

各人の資質の違いや、為した行為によって差を設けるというのが『観経』の、公平に立脚する九品の教説であった。しかるに我が善導大師は『観経』の流通分に、「仏告阿難 汝好持是語持是語者 即是持無量寿仏名」(仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と。)という文によって、一見観仏を勧めるように見える『観経』であるが、その実は、『大無量寿経』の乃至十念の、なんまんだぶを称えさせしめる経典で見られたのであった。
この意を善導大師と法然聖人から正確に受けられた御開山があらわされたご法義は、回向された「同一念仏無別道故」(*)の、なんまんだぶを称え往生浄土を期する法義である。

これが、「すなはち仏の名号をもつて経の体とする」(*)とする名号為体の法義である。
たとえば、体とは水である。静かな湖に満々とたたえられた水の上に、大悲の願(第十七願)の風がふくことによって波がたつ。この波が念仏往生の願(第十八願)より出でたる信である。水のない所には決して波が見られないように、なんまんだぶの名号の体があるからこそ、個々の人の上に信心という波がたつのである。

以下に『雜阿含經』の引文と読み下し文を提示するが「正法律」を、口称のなんまんだぶに置き換え、「調伏」を御恩報謝に置き換えて読むことも可能であり仏徳を讃嘆する縁(よすが)にもなるであろうと思ふ。

 

雜阿含經卷第三十三

(九二二)

如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。

爾時世尊告諸比丘。世有四種良馬。(*)

:その時、世尊、諸の比丘に告げたまわく。世に四種の良馬あり。

有良馬駕以平乘。顧其鞭影馳駃 善能 觀察御者形勢。遲速左右隨御者心。是名比丘世間良馬第一之徳。

:良馬あり、駕、平乘をもってす。其の鞭影を顧み馳駃、善く能し。御者の形勢を觀察し、遲速左右し御者の心に隨ふ。是れを比丘、世間の良馬、第一の徳と名づく。

復次比丘。世間良馬 不能顧影而自驚察。然以鞭杖觸其毛尾。則能驚速察御者心。遲速左右。是名世間第二良馬。

:復た次に比丘、世間の良馬、影を顧みて自ら驚き察することあたわず。然も、鞭杖を以って其の毛尾に觸るれば、則ち能く驚きて速に御者の心を察して、遲速左右す。是れを世間第二の良馬と名づく。

復次比丘。若世間良馬 不能顧影及觸皮毛能隨人心。而以鞭杖小侵皮肉則能驚察隨御者心。遲速左右。是名比丘第三良馬。

:復た次に比丘、若しは世間の良馬、影を顧み及び皮毛に觸れて能く人の心に隨うこと能わず。而も鞭杖を以て小しく皮肉を侵せば、則ち能く驚き察して御者の心に隨ひ、遲速左右す。是れを比丘、第三の良馬と名づく。

復次比丘。世間良馬 不能顧其鞭影及觸皮毛小侵膚肉。乃以鐵錐刺身。徹膚傷骨然後方驚。牽車著路。隨御者心遲速左右。是名世間第四良馬。

:復た次に比丘。世間の良馬、其の鞭影を顧みること能はず、及び皮毛に觸れ小しく膚肉を侵すものなり。乃ち鐵錐を以って身を刺し、膚を徹し骨を傷け然る後に方(まさ)に驚き、車を牽き路に著き、御者の心に隨ひ遲速左右す。是を世間第四の良馬と名づく。

如是於正法律 有四種善男子。何等爲四。謂善男子 聞他聚落有男子女人疾病困苦乃至死。聞已能生恐怖。依正思惟。如彼良馬顧影則調。是名第一善男子於正法律能自調伏。

:是のごとくに正法律に於いて四種の善男子あり。何等を四となす。謂く善男子、他の聚落の男子女人ありて、疾病困苦乃至死せるを聞きて、聞き已りて能く恐怖を生じて、正思惟に依る。彼の良馬の影を顧みれば則ち調へるがごとし。是を第一善男子、正法律に於いて能く自ら調伏すと名づく。

復次善男子 不能聞他聚落若男若女老病死苦。能生怖畏依正思惟。見他聚落 若男若女老病死苦。則生怖畏依正思惟。如彼良馬觸其毛尾能速調伏隨御者心。是名第二善男子於正法律能自調伏。

:復た次に善男子、他の聚落の若しくは男、若しくは女の老病死苦を聞きて、能く怖畏を生じ正思惟に依ること能はず。他の聚落の若しくは男、若しくは女の老病死苦を見て、則ち怖畏を生じ正思惟に依る。彼の良馬の、其の毛尾に觸れ能く速に調伏し御者の心に隨ふがごとし。是を第二善男子、正法律に於いて能く自ら調伏すと名づく。

復次善男子 不能聞見他聚落中男子女人老病死苦。生怖畏心依正思惟。然見聚落城邑 有善知識及所親近老病死苦。則生怖畏依正思惟。如彼良馬觸其膚肉然後調伏隨御者心。是名善男子於聖法律而自調伏。

:復た次に善男子、他の聚落中の男子女人の老病死苦を聞見して、怖畏の心を生じて正思惟に依ること能はず。然に聚落城邑の善知識及び親近する所の老病死苦あるを見て、則ち怖畏を生じて正思惟に依る。彼の良馬の、其の膚肉に觸れ、然る後に調伏して御者の心に隨ふがごとし。是を(第三)善男子、聖法律に於いて而も自ら調伏すと名づく。

復次善男子不能聞見他聚落中男子女人及所親近老病死苦。生怖畏心依正思惟。然於自身老病死苦能生厭怖依正思惟。如彼良馬侵肌徹骨然後乃調隨御者心。是名第四善男子於聖法律能自調伏。

:復た次に善男子、他の聚落中の男子女人及び親近する所の老病死苦を聞見して、怖畏の心を生じて正思惟に依ること能はず。然るに自身の老病死苦に於いて能く厭怖を生じ正思惟に依る。彼の良馬の、肌を侵し骨を徹し、然る後乃ち調し御者の心に隨ふがごとし。是れを第四善男子、聖法律に於いて能く自ら調伏と名づく。

佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行。

仏、この経を説きおわるに、もろもろの比丘、仏の所説を聞きて歓喜し奉行す。

追記:
『涅槃経』における四馬の譬え(*)

みづからの善根において信を生ずることあたはず

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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御開山のご著書は難しい。
でも、使われておられる言葉の出拠をみることで、少しだけ意味が判るとこともあるので面白い。

この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく、また本願三心の願と名づく、また至心信楽の願と名づく、また往相信心の願と名づくべきなり。しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し。
なにをもつてのゆゑに、いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり。たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず。ここをもつて極悪深重の衆生、大慶喜心を得、もろもろの聖尊の重愛を獲るなり。 (*)

常没の凡愚であり、迷いの世界で生れ変り死に変りし続ける存在が、この上もない証(覚り)を開くことが難しいのではなく、その覚りそのものである、真実の信楽(信心)を獲ることが困難であるとされる。
何故なら、大悲広慧の力によるからであると言われる。

この大悲広慧の広慧は、『如来会』の「阿逸多。汝観殊勝智者。彼因広慧力故受彼化生。」(阿逸多(弥勒)、なんぢ殊勝智のものを観ずるに、かれは広慧の力によるがゆゑに)の広慧力によられたものであろう。
御開山の先輩であった幸西大徳は、魏訳の『無量寿経』の「大乗広智」を信心の本体であるとされたのだが、御開山は 『如来会』の広慧力という語を使われるのは「乃至能発一念浄信歓喜愛楽」の浄信という語に如来回向の浄信をみられたからであろうか。

【8】 『如来会』(下)にのたまはく、「仏、弥勒に告げたまはく、〈もし衆生ありて、疑悔に随ひて善根を積集して、仏智・普遍智・不思議智・無等智・威徳智・広大智を希求せん。みづからの善根において信を生ずることあたはず
この因縁をもつて、五百歳において宮殿のうちに住せん。{乃至}阿逸多(弥勒)、なんぢ殊勝智のものを観ずるに、かれは広慧の力によるがゆゑに、かの蓮華のなかに化生することを受けて結跏趺座せん。なんぢ下劣の輩を観ずるに、{乃至} もろもろの功徳を修習することあたはず。ゆゑに因なくして無量寿仏に奉事せん。このもろもろの人等は、みな昔の縁、疑悔をなして致すところなればなり〉と。{乃至}仏、弥勒に告げたまはく、〈かくのごとし、かくのごとし。もし疑悔に随ひて、もろもろの善根を種ゑて、仏智乃至広大智を希求することあらん。みづからの善根において信を生ずることあたはず。仏の名を聞くによりて信心を起すがゆゑに、かの国に生ずといへども、蓮華のうちにして出現することを得ず。かれらの衆生、華胎のうちに処すること、なほ園苑宮殿の想のごとし〉」と。{抄要} (*)

命懸けで浄土往生を欣い善を修習している人には、残酷ではあるが「於自善根不能生信」(みづからの善根において信を生ずることあたはず。)と御開山はお示しである。これはほとんど理解不能の教説であろう。信賞必罰という論理は我々が生きている世界では当たり前であり、善因楽果・悪因苦果(善いことをすれば心楽しくなり、悪をなせば苦の報いを受けるという)という法則は、疑問を持つまでもなく当たり前の法則である。
これが公平のという原則である。しかるに、阿弥陀如来は平等の大慈悲にもよおされて、なんまんだぶのご法義を建立されたのであった。
これが、『信巻』大信嘆徳(四不十四非)(*)

で、あるが、悪の何たるかを知らない懺悔の意味すら知らない偽善者のなんまんだぶを称えない真宗坊主には理解不能だろうな。