善知識

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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WikiArcの善知識の項目に以下を追加した。

*原義は、よきとも=良い友人=自分をよく知ってくれる人の意。

正しい道理を教える者を善知識(善友(ぜんぬ)、親友(しんぬ)、勝友(しょうう)、善親友(ぜんしんぬ))、誤った道に導く者を悪知識(悪友(あくう)、悪師)といい、単に知識というときは善知識の意とする。例せば、華厳経入法界品には善哉童子の求道の過程に五五の善知識(一般に五三善知識という)に遇うことを説くように、どんな姿の者でも仏道に導くものは善知識であり、四分律巻四一には善親友は与え難いものを与えるなど七つ条件を具えている(善友七事)とし、智顗の摩訶止観巻四下には、外護(そとから見つめてまもる)、同行(行動を共にする)、教授(教え導く)の三善知識を説き、円暉の倶舎論頌疏巻二九には法を与えるものを上の親友、財と法を与えるものを中の親友、財を与えるものを下の親友とする(三友)。
真宗では念仏の教えをすすめるものを善知識というが、その人をただちに如来になぞらえて善知識は如来であるから善知識のみをたのめ、と主張する異計(異安心)は、「善知識だのみ」、「知識帰命」といって排撃する。また法主を、正しく法灯を継承した人として善知識ということもある。『仏教学辞典』(法蔵館)より。

親鸞聖人の積学は天台学であったから、以下、天台における善知識の三種の考察をするのに資する『摩訶止観』における三種の善知識の出拠資料へリンクしておく。

知識に三種あり、一には外護。二には同行。三には教授。→『摩訶止観

1.「外護の善知識」外護者。在俗にあって三宝(仏・法・僧)を護持する者で、真宗では法を説く僧侶を外護するいわゆる門信徒。
2.「同行の善知識」同じ教えを聞いて同じ行業の道を歩んでいる者。真宗では、本願に選択された「同一念仏 無別同故」の御同行・御同朋のこと。
3.「教授の善知識」往生極楽の道を往け、この法(なんまんだぶ)を修せよと教え勧めてくれる者のこと。

なお親鸞聖人は、「化身土巻」で、第一真実の善知識として、菩薩・諸仏を挙げられる。→勧信経文証
大涅槃に近づく因縁は真の善知識に遇うことであると「善男子、第一真実の善知識は、いはゆる菩薩・諸仏なり」とされる。真の善知識である所以は、一つには畢竟軟語、二つには畢竟呵責、三つには軟語呵責なり、といわれ、衆生の機に応じて巧みな手立てをもって救済していくのが真の善知識であるとされる。ここでいう善知識の菩薩とは、初地以上の菩薩であり真理の一分を明らかに体得している菩薩である。究極的には、真理の全分を悟っているのは諸仏であるから、第十七願において阿弥陀仏の名号の徳を讃嘆する諸仏が第一真実の善知識である。その諸仏の咨嗟讃嘆を通して「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん」(*)と、阿弥陀仏の名号讃嘆と阿弥陀仏の信心を歓喜せしめるのが「第一真実の善知識」なのである。

つまり、なんまんだぶと称える往生成仏の法を、生と死を超える業因であると受け入れるのが浄土真宗における信である。しかるに我至成仏道 名声超十方と届いている名号法を聞くことなく、法を説く人格に帰依しょうとするのが、知識帰命の異計である。善知識の姿の影を踏み、善知識の衣(ころも)が手に執るほどに近づくことが法を信知することだと錯覚している人に、↓の文章をお奨め。

法を見るものはわれを見る

 

ぞみぞみ信心って何?

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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『和語灯録』に「往生大要抄」という法然聖人の法語がある。
この法語の中で、法然聖人は信心の様相を示し、信心とは感情の妄想爆発ではないとお示しである。

おほかた此信心の様を、人の意(こころ)えわかぬとおぼゆる也。心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜・随喜・悲喜とぞ申べき。
信といは、うたがひに対する意にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし。これをこそ物を信ずるとは申せ。その信のうへに歓喜・随喜などもをこらんは、すぐれたるにてこそあるべけれ。『往生大要抄』(*)

信心が生ずれば、天にも地にも躍りあがりたいような踊躍歓喜の感激が発るのが信であり、そのような喜びが生じないようであれば信心とはいえないというのが法然聖人在世当時の信に対する考え方であったのであろう。
『歎異抄』における「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん」(*)という唯円房の疑問もそのような時代背景からの問いである。
いや、現代においても、『無量寿経』の本願成就文の「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」の一念を曲解して、「真に手の舞い足の踏むところのない大歓喜が起るのだ。」(*)という歓喜正因を説く輩がいる。
いわゆる、本願成就文の信一念釈の「時剋釈」と「信相釈」を混同し、「心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申す」を、信心であると誤解・錯覚した立場なのだが、まさに自らの心の上に信を建てようとする歓喜正因の異義である。
このような、心理的にとびぬけた感慨や感動が信心であるという誤解を戒めるのが前掲の法然上人の法語である。

さて、法然聖人は『選択本願念仏集』で、『観経』の深心とは深信であり、「生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。」(*)と「信疑決判」によって迷・悟を明かにして下さった。御開山が、『正信念仏偈』で、

迷いの境界にとどまり、輪廻を繰り返して離れることができないのは、本願を疑って受けいれないからであり、すみやかに煩悩の寂滅したさとりの領域に入ることができるのは、善悪平等に救いたまう本願を疑いなく受けいれる信心を因とすると決着された。「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」とされているように、浄土教における信は疑に対するものだとされるのである。

信と疑

そもそも仏教における信に対する語は不信であって疑ではない。
信とは不確定なものに対する衆生の思い込みを信というのである。信ずるとか信心するというような、信を自己を主体として信+動詞で語るのが信心というものである。
しかるに、浄土真宗では、賜りたる信心というように、自己を主体として信を論じないのであり、これを本願力回向の信心というのである。
疑いをのぞくとは、阿弥陀如来が本願によって選択摂取したもうた、本願念仏を往生の行業であると疑いの蓋を除き、なんまんだぶと称える行業が浄土教の信心なのである。(*)

これが御開山が比叡山上で、悩み苦しんだ「生死出づべき道」であり、法然聖人によって示された「往生極楽の道」であった。御開山の奥さんである恵信尼公の『恵信尼消息』には、生死出づべき道を尋ねて、雨の日も晴れの日も、どのような支障があって、もひたすら法然聖人の語られる浄土の法門を聞かれたとある。
異文化との遭遇というか未知との遭遇というか、多分御開山はカルチャーショックを受けられたのであろうと思ふ。(*)
法然聖人から、私が大切なのではない、私を必ず仏にするという阿弥陀如来の本願に随順することが仏道の本道であると示されたのが御開山ではあった。
信心とは、私が拵えるものではないのである。私の思いを超えた世界から私を仏にするという本願に対する疑いの蓋を取り除き、第十八願に代表されるような菩提心に共感することを信心であるとされたのであった。

なんまんだぶと称えることが、往生浄土の正因であると疑いの蓋を除く時、阿弥陀如来の菩提心包まれている自己を見出すのであろう。酔っ払っていて知らんけど、そういうことである(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

南無阿弥陀三耶三仏檀

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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『無量寿経』には十念とか一念とかいう語はあるのだが、直ちにこれが声の称名だという説示はない。そもそも念仏とは、主とする字義からいえば、仏を心で念ずることであろう。もちろん龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』(易行品)に「もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、恭敬心をもつて、執持して名号を称すべし」(*)とあるように、仏名(究極的には、阿弥陀 仏=無量寿仏)を称えることが、不退転地(正定聚)に至る行としての位置付けではあった。しかし、『無量寿経』には、一念や十念とあるだけで、これが、なんまんだぶという称名であると示す直接の文言はない。(第十七願という突っ込みはここでは却下)
『無量寿経』の異訳『阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(大阿弥陀経)には、南無阿弥陀仏を称える一段がある。『無量寿経』では霊山現土の一段である。暇なので読み下してみた。

仏告阿難。我哀若曹。令悉見阿弥陀仏。及諸菩薩阿羅漢所居国土。若欲見之不。阿難即大歓喜長跪叉手言。願皆欲見之。 仏言。若起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲阿弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難言。諾受教。即起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難未起。阿弥陀仏。便大放光明威神。則遍八方上下。諸無央数仏国。(*)
仏阿難に告げたまわく。我れ若(なん)じ曹(ともが)らを哀れんで、悉く阿弥陀仏及び諸の菩薩・阿羅漢所居の国土を見せしめん。若じこれを見んと欲うやいなや。 阿難、即ち大に歓喜し長跪叉手して言く、願くば皆なこれを見んことを欲す。仏の言く、若じ起ちて更た袈裟を被て西に向て拝し、まさに日の所没の処に当りて、阿弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え。阿難の言く、諾。教えを受けて、即ち起て更に袈裟を被けて西に向て拝したてまつり、日の所没の処に当りて、弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、南無阿弥陀三耶三仏檀と言く。阿難、未だ起たざるに、阿弥陀仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方上下の諸の無央数仏国に遍す。
◇三耶(samyak)は正しく完全なもの、三仏檀(sambodhi)は悟り、という意味の梵語の音写語で、三藐三菩提と同じで仏の意。 つまり南無阿弥陀+仏で、南無阿弥陀仏のこと。

このように仏名を称える行業があるだが、所依の『無量寿経』には直接仏名を称えるということは見えない、そこで本願の意に立って、『観経』に説かれている「南無阿弥陀仏」という声こそが、『無量寿経』の乃至十念であるとされたのが古今楷定の善導大師であった。『礼讃』には、

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生。(*)
〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。)

と、第十八願の乃至十念を下至十声とされたのであった。御開山が後序で、法然聖人の真筆をもって書いて下さったことを讃仰されているのも、この文であった。
覚如上人の「信心正因」のご教化は、無信単称への誡めであるのだが、あくまでも称名の上で信を論ずるのであって、なんまんだぶという行を離れての信心などというものは存在しないのである。
法然聖人は、『禅勝房にしめす御詞』の中で、

一念・十念にて往生すといへはとて、念仏を疎相に申せは、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへはとて、一念・十念を不定におもへは、行が信をさまたぐる也。かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはけむへし。(*)

との仰せだが、信心正因というドグマに陥って、口称のなんまんだぶを軽視する輩が多いのは困ったものだ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

誕生日

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「時無別体、依法而立(時に別体なし、法によって立つ)」と、仏教では言う。諸法の生滅・変化の上に時という概念を仮りに立てるそうだが何のこっちゃではある。人の時間軸は各人の経験則の上で考察するのであろうが、なんまんだぶのご法義の先人は、御開山の年齢に自己の齢(よわい)を重ねて自らの生きてきた歴史を重ねて味わうのが多い。
いわく、御開山が叡山におられた時、法然聖人とお出遇いになった時、越後へ流罪になった時などなど、自らの生を御開山の生に重ね合わせて、なんまんだぶのご法義に遇えた喜びを語るのであろう。フラッシュバックではないのだが、人界に生を受けたことの意味を少しく追憶していたらSNS内で以下のような誕生日に記した日記を見つけたのでUPしてみる。08/05/28の日記である。

今日は林遊の五十九回目の誕生日である。

お前が産まれた時は臍の緒が絡まった難産で、母ちゃんも産婆さんも苦労したという事を聴いた。
後年仏教に関心を持つようになった時、母は、お前は臍の緒を袈裟にして生まれたから、坊さんになるのかも知れんな、などと言っていたものである。

我、誕生の日は、母、苦難の日である。

親が死ぬまで反抗期で、母親の本物の慈愛を確認する為に母親に対して無茶苦茶な事をして来た。
その度に、堪忍してくれなあ、オメをこんな癇癪持ちにしてもたんは母ちゃんが悪いんやと両手を付いて謝る母親であった。
林遊が中学生の頃か、母ちゃん、なんで仏法聞く気になったんや、ようけ子供が死んだでか、という問いに子供が死んだくらいで仏法聞くような母ちゃんでねぇ。自分が死んでいく後生の一大事が心配でお聴聞するようになったんじゃ、と言ったものである。(林遊の兄弟は八人なのだが成人したのは三人である)

ボケてお念仏忘れたら、母ちゃんを叩きまわしてでもお念仏させてくれ、と、痴呆になり自分を失って行く恐怖の中で、なんまんだぶつの御恩報謝を心がけていた母であった。

ありがたいこっちゃな。生まれ難き人間の娑婆へ産んでくれた、なんまんだぶつのご法義を聞ける娑婆へ産んで貰ったのは母の恩である。そんな娑婆で林遊の五十九回目の誕生日である。

母ちゃん、産んでくれて有難う。 なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…

善導大師は『観経』の流通分にある、当知此人是人 中分陀利華を釈して、

「分陀利」といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。 この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。(*)

と、念仏者の五種嘉誉ということを示して下さったが、安心とか信心というありもしない妄想を、追い求めている人への警句かもな。まぁ、どうでもいいや林遊の心配することではなく阿弥陀さまの心配することだしな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、これ最強だな(笑

 

 

三種の愛心

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そもそも仏教では「愛」という言葉は否定的に使われる。
渇愛とか愛欲とか愛執など、いわゆる心を悩ませるものとして愛という語を使うことが多い。
例えば、最古層に属する聖典といわれるダンマパダでは、以下のように言う

210、 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。

211、 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。

212、 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?

213、 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

林遊は莫迦だから、人を愛したり裏切られたり、そして傷ついたりり苦しんだりすることが人生の妙味だと思っていたりもする。本当に愛し合えない存在だからこそ、返って愛おしくなるということもあるのだが、それは置いておいて三種の愛心という言葉がある。

三種の愛心とは、人が死に臨んだ時におこる三つの執着をいう。
WikiArcにUPした文章なのだが転載する。

「三種の愛心」

境界愛・自体愛・当生愛の三種類の愛心(執着心)のこと。

人の臨終の際に起こす三つの執着の心のこと。家族や財産などへの愛着である境界愛、自分自身の存在そのものに対する執着である自体愛、自身は死後どのようになるのかと憂える当生愛をいう。このような衆生の三種の愛心の障りを仏は安然として見ていられないので臨終に来迎するとされた。
法然聖人は、『阿弥陀経』の異訳である『称讃浄土仏摂受経』の「命終の時に臨みて、無量寿仏、其の無量の声聞の弟子菩薩衆と倶に、前後に囲繞し、其の前に来住して、慈悲加祐し、心をして乱れざらしむ。」の文から、来迎があるから正念に住するのであり、正念であるから来迎があるのではないとされた。つまり念仏を称えることによって仏の来迎があるという説を否定されている。(*)

親鸞聖人はこの法然聖人の来迎正念説を継承発展され、

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。「破闇満願釈」(*)

と、南無阿弥陀仏が正念であり、他力の念仏を称える行者は、すでに摂取不捨の身であるから来迎の儀則を固守すべきではないとされている。
となれば、なんまんだぶの行者は、ジタバタして死んでいけばいいのである。畳を掻き毟って三種の愛心に悩み苦しんで死ねばいいのである。
不安でいられるのは本当に安心できるものに出遇えたから、安心して不安でいられるのである。心の底から不安であるからこそ、その不安な心の、自分でも気が付かない闇の底まで、重誓名超声(聞)十方と重ねて今、すでに、口に称えられる、なんまんだぶが正念なのである。

よかったですね。遇い難い阿弥陀さまのご法義に出遇い、仏様の名前を口にする者にまで育てて頂いたのは、信玄袋を下げてお寺参りするばあちゃんの後姿や、なんまんだぶせんかい、と策励して下さった、じいいちゃんのお育てでした。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

会員VS脱会者

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このブログ、なんか大変だな。(*)

高森会の会員は堕地獄の恐怖から逃れる為に信心を得ることに狂奔し、脱会者は、必堕無間のマインドコントロールの恐怖が抜けないから、在籍していた会の教義を否定する『聖典』の文にしがみつく。
これって、どちらも助かりたいという、我利我利亡者の我欲の煩悩の発露にしか過ぎないのだと思ふ。浄土真宗のご法義は、「本願を信じ念仏を申せば仏になる」という、非常にシンプルかつ易行の最たるご法義ですよ。順彼仏願故の、なんまんだぶが、往生浄土の正定業(正しく衆生往生決定する業因)であることを受け入れるのが、浄土教の御信心です。
高森会の会員及び脱会者の最大の欠点は、口称の、なんまんだぶ抜きで如来から回向される御信心を論じることでしょう。『無量寿経』には、易往而無人(往き易くして人なし)とありますが、なんまんだぶを称えることに依って往生成仏するという教説は、あまりにも易往であるから難信なんでしょう。
信心とは御開山に言わせれば、願作仏心・度衆生心の菩提心であり、阿弥陀如来の菩提心に包まれて、なんまんだぶを称えて浄土を期するというご法義が浄土真宗です。善導大師は「学仏大悲心」ということを仰いましたが、もしお聖教に教えを学ぶということであれば、我を拯済しつつある、仏の大悲心を学ぶのであって、自らが信心を拵えようとして、お聖教を拓くのではないと思います。そんな事を、現役会員VS脱会者の投稿を読んで思ったので、TBしてみた。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

なんまんだぶ、最強

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『登山状』という法語を読んであれこれ編集したり末註を書いたり。(*)

『登山状』とは、従来の価値観を破壊するような、全く新しい仏教を提唱した法然聖人への批判に応答する為に、既成仏教の本山である比叡山へ出した書状である。

いわゆる、延暦寺衆徒をはじめとした専修念仏に対する弾圧を和らげるために書かれた書状で、法然聖人の請によって聖覚法印が代書したものといわれる。
聖覚法印は、父、澄憲法印とともに、安居院流と呼ばれる唱導(お説教)の流派を開かれた方で、故事来歴の自由自在な引用や、流麗な七五調の語りには定評があった。
さて、件の『登山状』には、釈の雄俊という、シナの坊さんの話がある。いわゆる往生伝の説話で、『瑞応伝』には次のようにある。
僧雄俊第二十一
僧雄俊姓周。城都人。善講説無戒行。所得施利非法而用。又還俗入軍営殺戮。逃難却入僧中。
大暦年中。見閻羅王判入地獄。
俊高声曰。雄俊若入地獄。三世諸仏即妄語。
王曰。仏不曽妄語。
俊曰。観経下品下生。造五逆罪 臨終十念尚得往生。俊雖造罪。不作五逆。若論念仏。不知其数。
言訖往生西方。乗台而去。

上記の漢文を意約してみる。

シナに雄俊という坊主がいた。
口だけは達者なのだが、戒律を守って修行することもなく、信者から得た布施はろくな事にしか使わないという、まるで真宗坊主のような坊主だ。
坊主が嫌になってので軍隊に入って、一方的に多くの人を殺したあげく、追求を逃れる為にまた教団にもぐりこむような坊主であった。

そのうち死んで、閻魔大王の裁きを受けることになった。

閻魔 この閻魔帳によると、お前は、坊主のくせにろくなことをしとらんから地獄行き決定な。

雄俊 うわわああ、閻魔さん、そりゃないやろ。俺が地獄行きなら仏さんは皆な嘘付きじゃあぁぁぁ。

閻魔 ボケッ、お前は何を考えとんじゃ? 仏さんは未だかって嘘付いた事などないわい。

雄俊 ほんなら、『観経』というお経に、親殺しなどの五逆罪の者でも、十回、なんまんだぶ称えたら極楽へ往くと書いてあるんは嘘なんか。俺も相当の悪やってきたけど、さすがに五逆罪はやっちょらん。また、なんまんだぶなら自分でも覚えてないくらい称えたぞ。お経には嘘が書いてあるなら仏さんは嘘吐きじゃあああぁぁ!

と、雄俊が言い終るか終わらないかのあいだに、西方から金蓮の台が飛んできて、雄俊を乗せ、あっという間に極楽へ往きましたとさ。

信心とか宗教とかいう字さえ知らず、無知なるが故に、坊主という信心を売り物にする高等遊民に、搾取され続けてきた歴史を持つ林遊のような門徒には、胸きゅんとなる話ではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

西方指南抄

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『西方指南抄』という、御開山が書写された法然聖人の法語集の全六巻の編集がほぼ終わった。
法然聖人の法語と称する物には偽作、真偽未詳なものが多いと言われている。書誌学的にはあれこれ論じられることがあるらしい『西方指南抄』だが、親鸞聖人の転写であり、御開山の眼を通っているのが安心ではある。
読んでて思うのだが、法然聖人は対機説法(相手の理解力に応じて話をすること)が上手だった。この事は、誰でも仏に成れるという、浄土宗(教団名ではなく教法名)を、初めて開宗されたので、それに対するあらゆる非難に対処されたという面もあるのだろうが、法然聖人の頭の良さと懐の深さというものを感じさせる。
宗教の世界は、世間とか自己と他者との関係とかではなく、自己自身の存在そのものが問題になった時、開かれる門である。まさに越前永平寺の道元禅師が言われるように、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。」である。経・釈(お経やその解説書)によって、仏の法を理解することは可能であろうが、その仏法が私にとって、どのような実践として与えられているのかに悩み、比叡山において、智慧第一の法然房と称されながら、自己の出離の道を見出せなかったのが法然聖人であったのであろう。
御年、四十三にして、悩み悩みながら仏典を繰り、シナの善導大師の『観経疏』散善義の「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」の、順彼佛願故の文にぶち当たって、浄土へ往生する業因は、口称の、なんまんだぶ一つというカルチャー・ショックに遇われたのである。
天才の凄いところは、これだ、と思い立ったら、学んだ学問を全て捨てて、市井の、なんまんだぶを称える人と同じ地平に自分を投擲できるのである。

この原点に立ちながら、順彼佛願故の意味を追求し、それは本願力回向であると「論註」の用語によって他力という用語の真の意味を示されたのが御開山親鸞聖人であった。

ヒステリアンシベリアカ

林遊@なんまんだぶつ Post in 仏教SNSからリモート
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シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、
ある日ふと地平線を見上げるとちょうど夕陽がはるかな西の地平線に沈みゆくところであった。
それを見たとたん、突然手にした鋤を投げ捨て、自分の家族や自分の関わってるもの全てを投げ捨て、ただひたすらその夕陽に向かって歩き出す。
ヒステリアンシベリアカというそうだが、20年位前にパソコン通信で目にした話ではある。

同じように突然西方へ向かう人の話が、
『今昔物語集』19-14に「讃岐國多度郡五位、法をききて聞法即ち出家せる語」にある。
悪の限りを尽くしてきた源太夫が、ひょんなことから西方浄土を知り、悪の限りを尽くした者でも阿弥陀仏という名号を称えれば、仏になるということを聞いて、即座に発心出家して「阿弥陀仏よや、を~いを~い」と称えながら、ひたすら西方を目指し歩き続けて往生したという説話である。
http://www.geocities.jp/yassakasyota/konjyaku/konjyaku.html

芥川龍之介の『往生絵巻』は、この説話に題をとった作品である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/117_14836.html

西方に沈む夕日は、耽美的な美しさ同時に、自らの心の底にある本当の願い、人間が生まれて来たという、根源的な意味を問いかけるものでもあるのだろう。

子供の頃に、美空ひばりが歌う「花笠道中」の、♪西へ行くのは こっちかえ~という歌に、西方には真実の国があるんだなと思いながら口づさんだものだった。

廃悪修善

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ, 管窺録
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御開山の仰ることは重層的なので非常に判りにくい。
「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」『歎異抄』という非常にシンプルな教えなのでだが、シンプルであるがゆえに誤解する者も多い。
中には、浄土真宗は廃悪修善を勧めないから、おかしいという意見もあるのだが、この廃悪修善について、善導大師、法然聖人、御開山聖人のお示しを窺ってみよう。
まず、善導大師は『観経疏』「玄義分」で、

娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。
その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす(息慮以凝心)。 「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す(廃悪以修善)。この二行を回して往生を求願す。
弘願といふは『大経』(上・意)に説きたまふがごとし。 「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(*)

と、要門と弘願ということを示して下さった。
ここで、要門とは、即慮凝心と廃悪修善であり、弘願とは阿弥陀仏の大願業力に乗ずることであると善導大師は定義される。
この文の解釈が、定散二門の行をもって弘願に乗ずるのであるか、それとも要門という法義と弘願という法義の二つの法門を指すのかに解釈が分かれた。

例えば、鎮西派の良忠上人は、「第四、問何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也」『淨土宗要集』(*)
(第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得る也。)

と、され、要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)が相依って往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされている。
これは常識的な見方であり、当然、廃悪修善という行が、往生の行に含まれているというのである。
以下の、七仏通誡偈にあるごとく、

諸悪莫作(もろもろの悪を作すこと莫く)
衆善奉行(もろもろの善を行い)
自浄其意(自ら其の意<こころ>を浄くす)
是諸仏教(是がもろもろの仏の教えなり)

という、廃悪修善は、仏教上での常識的な解釈であろう。

ところが、法然聖人には廃悪修善について以下のような法語がある。

ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。
答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『諸人伝説の詞』(*)

一。つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて、念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当世のわれらは、みなそれにはそむきたる身なれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候なり。御意え候へ。『一百四十五箇条問答』(*)

或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏何勝哉。
答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等、悉違背、若不乗別意弘願者、難出生死者歟云云『一期物語』
( 或人問て云く、常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思い念仏すると何れが勝れたるや。
答、廃悪修善は是れ諸仏の通戒といえども、当世の我等、悉く違背せり、若し別意の弘願に乗ぜずば、生死を出で難きものか。云云

廃悪修善は諸仏の通誡(七仏通誡)ではあるが、「当世の我等はことごとくこれに違背」していると仰るのである。黒田の聖人へつかはす御文には、「罪は十悪五逆のものむまると信して、少罪おもおかさしとおもふべし」(*)とあるが、悪を廃することの重要性を知りながら、その上で、悪を廃することのできない凡夫の現実の姿を直視されておられるのである。
七仏通誡偈をめぐっては、白居易と鳥窠道林のエピソードにもあるように、実践の場に於いては<判る>と<出来る>は違うのである。
これを誤解すると七仏通誡偈は単なる世俗の道徳に陥ってしまうであろう。

さて、法然聖人は上記の法語で「別意の弘願」ということを仰っておられる。
これは、あきらかに前記の良忠上人の解釈とは違い、善導大師は定散の「要門」(廃悪修善)と「別意の弘願」(阿弥陀仏の大願業力に乗ずる)という二つの法門を示されていると領解されていた。法然聖人は、善導大師の『観経疏』は『無量寿経』の本願の意をもって『観経』を解釈さたと見られたのである。つまり、釈尊は韋提希の請によって浄土の要門を開き、阿弥陀仏は別意の弘願(特別な願=第十八願)の法門を顕された、と見られたのである。これが「若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか」の述懐である。

御開山は、この法然聖人のお示しを受けて、要門と弘願を『観経」の法義の要と『無量寿経』の法義の弘願という二門の法義に分判されたのである。
そして要門を第十九願の法門であるとし、弘願門を第十八の願であると見られたのである。無量寿経の第十九願の「発菩提心 修諸功徳」は、まさに七仏通誡偈にあるごとく、聖道門仏教の願行を以って浄土を欣わしめる法門であるから、要門とされたのであろう。行は願によって転ずるといい、その願うところによって行の意味が変わる。この土で覚りを得ようとする聖道門の行をもって、浄土を欣わしめる法門であるから『観経」の「三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。」(*)といわれたのである。
なお、この欣慕の語は、「散善義」の深信釈、第三深信の観経深信「また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。」(*) からであるのはいうまでもない。

このように見てくると、一部の三願転入派の、第十九願を経て第二十願に入り、そして第十八願に転入するというプロセスという考え方はおかしいのである。三願は、全く違った法門であるから御開山は転入と仰ったのであり、各プロセスの果てに第十八願の法門があるのではないのである。

三 願 三 経 三 門 三 藏 三 機 三往生
第十八願 仏説無量寿経 弘願 福智蔵 正定聚 難思議往生
第十九願 仏説観無量寿経 要門 福徳蔵 邪定聚 双樹林下往生
第二十願 仏説阿弥陀経 真門 功徳蔵 不定聚 難思往生

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*) 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ