人間(じんかん)五十年(敦盛)というけど、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか、ではある。
林遊と直接の面識はないのだが、某教団を辞してからネットで付き合って頂いた人が西方仏国へ移住した。どこかで『墨子』が好きだ、ということを書いていたのを見たことがあったのだが、平等を愛する優しい人だったのだろう。
頭も良さそうな人で、某会を辞めてから色んな本を読んでらしたが、読んでる本を知るだけで関心の方向が窺えたりする。いろんな束縛から離れて自由に学べるということの喜びが伝わってくるようではあった。
SNSでは「なんまんだぶで100を目指そう」コミュで、手術前の2月末の書込みが最後だったが、彼の、本物に出会えた、なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶの書込みが心に浮かぶ。
このコミュでは、各人がいろんな思いを、なんまんだぶという言葉に重ねて味わうのだが、なんまんだぶと称え聞くことを体とするご法義は、あらゆる存在を覚りの世界へ生まれさせるという大乗の至極である。
馬齢を重ねると娑婆の知人より浄土での同行が多くなるのであるが、またひとり浄土で語り合える友が増えた。
西方寂静無為楽 畢竟逍遙離有無
大悲薫心遊法界 分身利物等無殊
(西方寂静無為の楽は、畢竟逍遥して有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること等しくして殊なることなし。)
帰去来 魔郷不可停
曠劫来流転 六道尽皆経
到処無余楽 唯聞愁歎声
畢此生平後 入彼涅槃城
(帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん)、と。(*)
御開山が「真仏土巻」で引文しておられる善導大師の文だが、このご法義に遇えてよかったですね。今はもう衆生済度の出門の菩薩として、法界に遊ぶが如く愁歎の声に寄り添っておられるのでしょうね。
浄土真宗のご法義では、お別れに
(13)
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
の和讃を誦するのですが、あなたには、直接『浄土論』の
観仏本願力 遇無空過者
能令速満足 功徳大宝海
が、似合いそうです。北陸の一狂惑者の妄想に付き合い空過する人生ではなく、本物のご法義に遇えて良かったですね。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
« Prev:『大般涅槃經経』あれこれ 智慧の念仏うることは:Next »
2012年7月30日 4:29 PM
南無阿弥陀仏に生かされ、南無阿弥陀仏に生きた友人でしたが、あまりにも惜しい人物でありました。生きていれば、味わいを深め、その味わいを語り合うこともできたろうにと思うと本当に残念であります。
2012年7月30日 9:51 PM
ほんと惜しい人でしたね。
彼は理論面に強そうだったので、持ち前の本領を発揮できる環境であったならと惜しまれます。