私がさびしいときに、
よその人は知らないの。私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。[金子 みすゞ]
仏教に同悲(どうひ)、同苦(どうく)という言葉がある。
衆生の悲しみを自らの悲しみとし、自らの苦として共感して下さるのが仏さまであった。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
私がさびしいときに、
よその人は知らないの。私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。[金子 みすゞ]
仏教に同悲(どうひ)、同苦(どうく)という言葉がある。
衆生の悲しみを自らの悲しみとし、自らの苦として共感して下さるのが仏さまであった。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
今様
親鸞聖人の和讃も七五調四句の今様形式である。
五七五七七形式の和歌と違って、抒情的な調べではなく、物/事を説明するのに適しているような気がする。
『古今和歌集』って、何か巧言綺語の技巧的な雰囲気があるので、御開山は和歌による表現を採用されなかったのかも知れんな。
で、林遊の好きな『梁塵秘抄』から一句。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
意味の解釈はご自由にどうぞ。
放下著(ほうげちゃく)
これは禅語であって、著は着ではない。
放下着なら下着を放てという意味になり、パンツを脱げという意味になる(笑
放下著とは、執著(自分が自分がと思っている想い)を捨てろという意である。
私は信心を獲得したとか、私は悟ったという増上慢の輩に対して、その信心とやらや生半可な悟りを捨てろという言葉が放下著である。
問う 一物不将来の時如何
(何も持っていないときはどうですか)
答う 放下著
(その大事に抱えているものを捨てろ)
問う 一物不将来、箇の什麼をか放下せん
(一物も持っていないのに何を捨てるのですか)
答う 恁麼なら担取し去れ
(それならそれをひっ担いでいけ)
問者、言下に大悟す。
(問うた人は一言のもと大悟した)
『趙州録』
禅問答はさっぱり判らないが、三田源七さんの『信者めぐり』に次のような話がある。
源七さんは信心/安心に苦しみ、あちらこちらの同行を訪ね歩いた。
美濃の、おゆき同行を訪ね四日間話を聞いたがどうしても判らない。
四日目におゆき同行に別れを告げた。
おゆき同行は、杖にすがって雪の中を見送ってくれた。
一、二町行くと、
「お~い、お~い」と呼び戻され、何事かと思って戻った。
すると、おゆき同行は源七の手を握り、
「源七さん、お前は信心を得にゃ帰らぬと言うたなあ」
「はい左様申しました」
「けれども何処まで行かれるか知らぬが、もしやこの後において、いよいよこれこそ得たなあというのが出来たら、如来聖人様とお別れじゃと思いなされ、元の相(すがた)で帰っておくれたら、御誓約どうりゆえ、如来聖人様はお喜びであろう」と言った。
源七さんは、その場では何のことやら訳がわからなかった、と後年述懐したそうである。
蓮師の『御一代記聞書』213には、
心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%80%E4%BB%A3%E…
と、ある。
現代語:
蓮如上人は、「ご法義を善く心得ていると思っているものは、実は何も心得ていないのである。
反対に、何も心得ていないと思っているものは、よく心得ているのである。
弥陀がお救いくださることを尊いことだとそのまま受け取るのが、よく心得ているということなのである。物知り顔をして、自分はご法義をよく心得ているなどと思うことが少しもあってはならない」と仰せになりました。
ですから、『口伝鈔』には、「わたしたちの上に届いている弥陀の智慧のはたらきにおまかせする以外、凡夫がどうして往生という利益を得ることができようか」と示されているのです。
浄土真宗は阿弥陀如来のご本願のご法義である。
私の救われぶりの話ではなく、如来の救いようを聞信するご法義である。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、ほら、救いがすでに届いておるではないか。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
なんまんだぶは面白い。
才市さんは、なんまんだぶは、こちらに中(あた)るのだという。
わしが、ねんぶつを、となえるじゃない、
ねんぶつの、ほうから、わしのこころにあたる、ねんぶつ。
なむあみだぶつ
中(あた)るは的中と熟すように、真正面からものにあたるという意味である。
才市さんは念仏は私が称えるのではないという。
念仏の方がわしの心にあたるのだという。
おもしろい表現だが、これこそなんまんだぶである。
中は食中毒と熟すが、まさに毒に中るのであって、自らが毒にあたろうとするのではない。
ねんぶつの、ほうから、わしのこころにあたる、ねんぶつ。
最初のねんぶつの語は阿弥陀さまのねんぶつ。
そして、わしのこころに中ったねんぶつは、なむあみだぶつ。
文字でもなければ言葉でもないねんぶつ。
文字や言葉で顕せない世界から、林遊のこころにあたる、ねんぶつ。
なんまんだぶ、なんまんだぶ
林遊が称えるのではなかったな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
門徒の懇念で新装成った御影堂。
明治28年に完成した木造建築では最大の広さを誇る御影堂である。
修復後の御影堂はピカピカして往年の古ぼけた味わいが無くなっている。
新しい瓦屋根を眺めながら、俺の寄進した瓦は何処にあるんじゃろと門徒同士の雑談。
林遊は、御堂の正面で大声で
な~んまぁ~んだ~ぶ~!!!
傍にいた坊主がびっくりして、よく透る声ですね。
あたりまえじゃ、声の大きさでは負けたことがないわい。
「正覚大音 響流十方」(正覚の大音、響き十方に流る)と、法蔵菩薩は師仏を讃嘆なされた。
法蔵菩薩は「我至成仏道 名声超十方」(われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。 )と四十八願に重ねて我が名を届け聞かせるというなんまんだぶである。
御開山は「名声聞十方」と、聞けとお示しだから称えなければ聞こえないのである。
本願寺派の方はご存知であろうが、大谷派ではなんまんだぶの声を聞くことはほとんど無い。
春先には吉崎で蓮如さんの御忌ががある。
ここで東西別院の参詣衆の態度を比べると、本願寺派の門徒はなんまんだぶを称えるが大谷派の門徒はめったになんまんだぶを称えない。
家のじいさんは、本山では御念仏をしたらアカンとでも教えているのか、と苦言を呈していたものだ。
法要次第は真宗宗歌で始まった。
三番まで歌うのかと思ったら一番だけで終わり。
真宗宗歌は一番は求道、二番は安心、三番は報謝伝道になっているのだが一番だけ。
清沢満之師の求道主義、曽我量深師の唯識的真宗理解が大谷派の教学の基礎になっているそうだが、「しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。」の御開山の言葉が脳裏をよぎる。
真宗宗歌が終わったら、合掌というお姉ちゃんのアナウンス。
莫迦じゃないのか、ここは御影堂。
御開山のご真影に合掌してどうなる。御開山の御恩忌であるなら御開山の喜ばれるなんまんだぶを称えるべきであろう。
林遊は御堂に響き渡るように高声で、な~んまんだぁぶ~っ。
三千の参詣者は黙祷でもしているのか合掌して無言。たぶん仏を心で念じているのかしらん(笑
次はご門首猊下のおことば。
ご門首は言葉の発音がご不自由なので表白は聴きづらいのだが、大震災の被害にあわれた方々を案じるとともに宗祖親鸞聖人の『御消息』から、
なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E5%BE%A1%E6%B6%88%E6%81%AF_%28%E4%B8%8A%29#no16
の文意を引かれて、生死無常と生死出ずべき道をお示しの表白であった。
林遊、な~んまんだぁぶ~っ。
しかし、後の内局の挨拶は無茶苦茶であった。
ご法義の話は全く無く、徹頭徹尾震災についての話であり、あまつさえ出きる限りの義捐金を出せと言うにいたっては、お前が着ている僧班を示す衣と金襴の袈裟を売り払ってお前がしろと言いそうになった。
以下、阿弥陀さまの阿の字も無い感話と下手な説教に、この宗門は宗教法人ではなく偽善を売る社団法人に改組した方がいいのではないかと密かに思っていた。
行事の合間の間隙を盗んで、林遊のな~んまんだぁぶ~っ。(笑
係員が「お静かに」というプラカードを持って会場を巡る。
あてこすりに、林遊のなんまんだぶ、なんまんだぶの声。
次は法要儀式。
さすがに『正信念仏偈』と和讃の唱和は門徒も参加するので有り難かった。
唯一の救いである。
次に災害対策本部とやらの報告で活動内容と義捐金の額を公表。
それから、参努とやらの宗教貴族の決意表明。←おひおひ決意表明って何だよ。(ここいらへんで林遊は切れていた)
最後は大谷派で依用する長調の「恩徳讃」唱和であるが、長調の「恩徳讃」は、なんか暗い響きである。
で、林遊の明るいなんまんだぶ、なんまんだぶ……
かくて、三千の大衆は一声の御念仏もなく五月二十六日の御開山の御遠忌の日中法要は終わった。
わずかに、同行した同朋のばあちゃん達が遠慮がちに小声で称えるなんまんだぶが聞けたのはよかったが…。
浄土真宗の法要は、なんまんだぶという声による荘厳であると林遊は思うのだが、観念論に懲り固まった世俗にしか視野を向けることが出来ない宗門では無理だとつくづく思ったものである。
なお、帰りのバスに中で、
どこで、なんまんだぶをすればいいのかよぉ判ったわ。こんどはウラがしるわ、と同行。おいおい、歌舞伎の大向こうの掛け声かよと苦笑したのだが、なんまんだぶは、こちらが称える念仏ではなく全て回向されたお念仏であるからまあいいか(笑
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
木村無相さんの詩
にょらいさんが
わたしを
おもって おもって
おもって おもって
くださるのが
おねんぶつ…
にょらいさんのおもいが
わたしに
とおって とおって
とおって とおって
くだされたのが
おねんぶつ…
浮遊する虚しい道具としての言葉と、
言葉の世界を超えたところから届けられる言葉もある。
なんまんだぶつが出来たから、我が案ずることはないんだよな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
むこうがわ (中川静村)
わすれ とおしの
こちらを
おぼえ とおしの
むこう
おがんだ おぼえのない
こちらを
おがみ ぬいている
むこう
こちらの
かるい かたのに は
むこうの
なみだの おもいしょうこ
こぼれる ぐちは
こちらのもの
かえられた ねんぶつは
むこうのもの
こちらに
ゆだんが あろうとも
むこうに
ちりほどの ゆだんもない
なにもかも
むこうが しあげて
なにもかも
いただく こちら
やるせないのは
むこうがわ
やせて つらいは
むこうがわ
ただ せつないのは
むこうがわ
たのんで いるのは
むこうがわ
つかんで いるのは
むこうがわ
すてられ ないのは
むこうがわ
やっと しあげて いただいた
となえる だけの おねんぶつ
あわせる だけの この りょうて
はる三月の
ひだまりの
ツクシの ような
こちらがわ
慈海さんの日記に触発されて過去ブログから転載
聞くままに また心なき 身にしあれば
おのれなりけり 軒の玉水 道元禅師
だいぶ昔の春先の夜中のことであった。
ふと夜半に目が覚めたところ、屋根の淡雪がしずくとなって軒下の水溜りにポトン・ポチャンと落ちる微妙(みみょう)な音が耳に聞こえてきた。
何気なく聞いているうちに、聞いている私が主体なのか聞こえてくる音が主体なのかが判らなくなり、世界が音だけになってしまうという経験をした。
後年、冒頭の道元禅師の歌を知り多分道元禅師も越前の山奥での心象風景をこのような歌にされたのだろうなあと勝手な感慨にふけったものだ。
ある和上が、我々は花を見る、というが本当の花を見ているのではなく、花という我々の脳内でこしらえた概念の虚像を見ているのですよ。
一本の花が、花が花を見るように花を見た時初めて花を見たということが言えるのです、といわれた事があったが「天地と我と同根」という言葉の意味が少しだけ解った気がしたものだ。
ご法義に「経験」という個人的感覚を持ち込む事は小生の最も唾棄すべきことではあるが、論理や感情を媒介することなくモノを直接的に把握/認識するという事もあるのかも知れないと思っていたりもする。
しかし、当流には「仏弥勒に語りたまはく、〈それ、かの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」(註釈版81P)、という、一念/一声の南無阿弥陀仏がある。
称える者の経験や知識などには何の関係なく、仏の名号を聞いて喜び南無阿弥陀仏と一声のお念仏を称える事がこの上ない功徳をもつ行であるとのお勧めである。称える側には意味がなくとも、称えさせようとする側に意味があるのがなんまんだぶつである。
なんまんだぶつという声になって悟りへ至らしめようという名号は、如来の慈悲の極まり(十七願:大悲の願)であり無上の功徳である。浄土門仏教徒にとっての究極の言葉はなんまんだぶつである。自らの知識経験が何の役にも立たない時、絶望の極みの奥底(おうてい)に届く言葉は南無阿弥陀仏である。その名号に呼応しようと思い立つ心の発るとき御開山や蓮如上人が見ておられた世界の消息が窺がえるのである。
大悲の願から出る南無阿弥陀仏がこちら側の一声となって、また大悲へ還っていく世界があるのですよ、と先人はお勧めである。ともすれば私が称える念仏と思いがちだが、御開山は、南旡阿弥陀仏を讃嘆するという大行の出所は私の口ではありません。「しかるにこの行は大悲の願より出たり」(141p)との仰せである。出るところが違うのである。
このようなお念仏の世界を「わたしゃつまらん、聞くばかり」と仰った先人がいたが、自らの行為に意義を見出そうとする立場ではつまらんご法義である。しかし、それが本当の仏道でしたねと肯(うけが)ふ時に拓ける世界もまたあるのである。
「至心信楽おのれを忘れてすみやかに無行不成の願海に帰」(1069p)すと、なんまんだぶつという誰でも実践できる行があるのはありがたいこっちゃ。
PS:
なお、水の音を聞き味合うものに水琴窟(すいきんくつ)というものがあるそうである。地中に甕を埋め蹲(つくばい)を通した水が甕の中に落ちて甕に反響する音を楽しむものだそうである。
「梵声悟深遠 微妙聞十方」(浄土論)には及ぶべきもないが、確かに水の音は不思議な音色を聞かせてくれるものである。
水琴窟の音の例:
http://www.eikando.or.jp/Suikinkutsu.mp3
宗教において教祖に絶対服従してしまうことを「知識帰命」という。
真宗においては阿弥陀如来に帰依することを帰命というのであるが、その教説を説く者を絶対化し崇拝する対象としてしまう異義である。
古来から浄土真宗では阿弥陀如来を人格化して、親さまなどと呼称して来たので対人関係のみでしか関係性を構築できない人はこのような異義に陥りやすい面もあるのだろう。
信という言葉は、人+言(ことば)という意味もあるから、法を説く人を絶対化しその言葉を受け入れ従うことが信であると誤解するのである。
釈尊が涅槃にお入りになるとき、偉大な人格を失う恐怖におびえる弟子達に「今日からは、自らを灯明とし法を灯明とすべし」といわれ自灯明・法灯明ということをお示しであった。
これを『大智度論』に、四つの依りどころの法四依として、
釈尊がまさにこの世から去ろうとなさるとき、比丘たちに仰せになった。
①今日からは、教えを依りどころとし、説く人に依ってはならない。(依法不依人)
②教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならない。(依義不依語)
③真実の智慧を依りどころとし、人間の分別に依ってはならない。(依智不依識)
④仏のおこころが完全に説き示された経典を依りどころとし、仏のおこころが十分に説き示されていない経典に依ってはならない。(依了義経不依不了義)(『註釈版聖典』p.414)
このように、説く人に依ってはならないという意で、以下のような話を聞いたことがある。
和上のお寺で、近隣の坊さんの法話があった。
その法話に参っていたばあちゃんが、和上の部屋の前をぶつぶつ言いながら通ったそうである。
聞くとはなしに聴くと、
今日の布教使は若い頃はろくでもない奴じゃったなぁ。
酒は飲むしケンカ腰で物をいうし、ほんまに近郷近在のロクデナシじゃった。
ほんでもなあ、今日の説教はありがたかったな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
人の人格や生き方や知識や人生観や見てくれや矜持や態度には、何の用事もないのである。
我々に用事があるのは、阿弥陀さまのご法義である。
そんな話を和上にお聞かせに預かったものだった。
爾来、知識帰命というようなモノからは無縁で、たとえ新発意(新米の坊主)の、本を読むような法話でもあり難いものは有り難く、熟練した布教使の法話でもつまらんものはつまらんと駄目だしができるようになったものだ。
お聴聞は法を聞く耳を育てるというが、熟練してくると猫のちょっとしたしぐさや一杯の酒にでも法を聴けるものではある。
それにしても、最近の法話は人間の話ばっかりで、阿弥陀さまの話をなんまんだぶの話を出きる坊主が減ったのは困ったものだな。
とあるブログ間で『教行証文類』「化巻」の「極重悪人唯称弥陀」であれこれやり取りをしている。
しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。
ここんとこは引用の引用で、 言葉の意味が3回くらいひっくり返ってるのだが、その経緯を以下にメモをしておく。
そもそも、この文の出拠は懐感禅師の『群疑論』であり、御開山は『群疑論』を直接引用せずに源信僧都の『往生要集』に引文された処を参照されておられる。
これは、法然聖人の『選択本願念仏集』の「偏依善導釈」で、
問ひていはく、もし三昧発得によらば、懐感禅師はまたこれ三昧発得の人なり。なんぞこれを用ゐざる答へていはく、善導はこれ師なり。懐感はこれ弟子なり。ゆゑに師によりて弟子によらず。いはんや師資の釈、その相違はなはだ多し。ゆゑにこれを用ゐず。
と、法然聖人が示されたように、唯識の立場によって浄土門仏教を把握しようとした懐感禅師の『群疑論』に疑問をもって直接の引文を忌避したのであろう。
で、以下は暇つぶし。
『群疑論』:無量壽經又言。上中下輩行有淺深。皆唯一向專念阿彌陀佛。
無量寿経にまた言く、上中下輩の行に淺深あれども。みなただ一向に阿弥陀仏を念ぜよ。
『往生要集』:二 双観経 三輩之業 雖有浅深 然通皆云 一向専念無量寿仏
二には、『双巻経』の三輩の業、浅深ありといへども、しかも通じてみな「一向にもつぱら無量寿仏を念じたてまつれ」とのたまへり。
『教行証文類』:
引用なし
『群疑論』:又 四十八弘誓願。於念佛門 別發一願言。乃至十念 若不生者 不取正覺。
また四十八の弘誓願、念佛門において別に一の願を発してのたまはく、乃至十念せん、もし生ぜずは、正覚を取らじ
『往生要集』:
三 四十八願中 於念仏門 別発一願云 乃至十念 若不生者 不取正覚
三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。
『教行証文類』:
念仏証拠門中 第十八願者 顕開 別願中之別願
念仏証拠門のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。
『群疑論』:観経下品上生・下品中生・下品下生三処経文 咸陳唯念阿弥陀仏往生浄土
観径の下品上生、下品中生、下品下生の三処の経文には、みなただ弥陀仏を念じて浄土に往生すと陳ぶ。
『往生要集』:
四 観経極重悪人 無他方便 唯称念仏 得生極楽
四には、『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。
『教行証文類』:
観経定散諸機者 勧励極重悪人 唯称弥陀也
『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。