文化の日

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文化の日とは、明治天皇の誕生日である明治節であった。

日本の文化は、日本独自の文化の濫觴を経て明治期に西欧文明との邂逅によって開花した。当時の日本人は和魂洋才として、和魂としての「文化」と洋才としての「文明」の違いを認識して西欧文明を取り入れたのだが、大東亜戦争(アジア植民地解放戦争)に負けてから、日本文化も西欧文化に敗北してしまったようにみえる。
末木文美士氏は、

かつて浄土が死者を受け入れる場であったが、今では多くの日本人が死んだら天国に往くと言う。そこには死生観の大きな断絶があると思われるが、いつ、どうしてそのような転換が起こったのだろうか。そんな問題に関心を持つ研究者や知識人はほとんどいない。死を論ずる人はいても、死後や死者の問題は公的な場ではタブーとなってきた。そんなことを語るのは無知で迷信的な庶民であり、近代的な欧米の学問を身に付けた知識人にとっては恥ずかしいこととされた。
いつの頃からか、「永眠」というきわめて冷たい言葉で死者を突き放すのが、当たり前になった。死者はただ眠っていればいい、生者の世界とは無関係だ、というのである。広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」という有名な言葉が刻まれている。その決意は潔いものの、やはりそれでいいのだろうかと思わないわけにはいかない。実際、それ以後も随分と「過ち」を繰り返してきているのだから、死者はとても「安らかに眠って」はいられないであろう。

と述べていたが、とある浄土真宗の葬儀後の会食のあいさつで若い喪主が、今日は皆さんがおいでになって父親も天国でよろこんでいます、という語に接して小便を漏らすほど驚いた。後で喪主を別室によんで、あんたの父ちゃんは浄土真宗のなんまんだぶを称えた門徒やさけ、天国という迷いの世界ではのうて、あらゆる煩悩の火の滅した、お浄土からオメの来るのを待ってるんにゃぞと、六道の話をし、神の世界である天国も迷いの世界であると話したらみょうに納得したことであった。

ともあれ、文化と文明は違う概念なのだが、今日は日本国憲法公布の日であった。
護憲派の左巻き坊主は、歴史を時間というカンニングペーパーで語るのだが、浄土真宗に於ける文化とは、なんまんだぶを称えて西方仏国へ移住するという文化であった。
と、いうわけで、WikiArcの冒頭に、

生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。

と、追記してみた。どうでもいいか(笑

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「仏教における科学と信仰 我々はなにをよりどころとして生きるべきか」

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かってFBでリンクしたものの再掲。
科学(元はキリスト教神学)という世界観と、宗教という世界観の違いについて参考になった。なお、佐々木閑さんは越前の高田派の坊さんである。
この佐々木の講演の範疇でいえば、林遊の場合は、いわゆる伝統的原理主義者かもである。知らんけど。

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FBのフレンド申請について

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20代の頃、会社勤めをしていた時に、そこの社長が面白いことを言っていた。

そもそも、人間が考察の対象にできる人は、二十人だから、それをこえたら必然的に分派するもんじゃ。会社の部・課別制もこれによっているんじゃ、という言葉になるほどと将棋の駒の数を思い浮かべた。

将棋の駒が百個ほどあったら、脳内シナプスの発火現象も混乱するのではなかろうかと、後日思ったものである。
というわけで、フレンド申請が多数なのだが、林遊が論じている内容は、ほぼ一般的には理解不能だと思われるので、フレンド申請は無視している。すまんこっちゃの。
もし、仏教や浄土真宗ということに関心があるなら、

http://www.wikidharma.org/

http://labo.wikidharma.org/
を、参照されたし。
生きることの意味や死ぬことの意義を説くのが宗教言語の世界なのだが、既存の言語と違う言語世界が、もしかしたら見えるかもしれないのであった。どうでもいいけど。
禅門では、不立文字として、言語を否定する面があるのだが、言葉を使いながら、その言葉を超越しているのが、義なきを義とすという世界であった。

それは、虚心に、なんまんだぶを称える者の前に顕現する世界であったのである。こればっかりは遇わんとワカラン。
いわゆる、わたくしという存在の意味が信知できることであった、やったね。

特に、浄土教では、生きることに意味があるように、死ぬことにも意味もあるのですよと告げるのである。現代人の妄想←(仏教語)するような、死は滅びであるという思想と対決してきたのが、浄土を真実とする浄土真宗のご法義であった。これを「後生の一大事」と蓮如さんは説かれたのであった。生きる意味も知らず、死んでいくことの意義も知らない当時の仏教から疎外されていた門徒にとっては、これこそウララ←(我々という越前弁)が、生も死も託していける、ほんまもんの仏教だと狂喜乱舞したのであろう。いわゆる「大乗の至極」である。

頭の賢い真宗坊さんは、これが解らんので困ったものだ。なんまんだぶせぇよ(笑

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報恩講と三人の婆ちゃん

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仏智の不思議という不思議の語を、まるでオカルトのように解釈している人がいるというFBの投稿を見て、古いページからサルベージ。

報恩講と三人の婆ちゃん

あるお寺での報恩講の時、夜の御法座まで時間があるので七・八人の同行が 本堂で雑談をしている所へ当時八十八才の老院がおいでになり「今日は御開山様の報恩講や、御法(おみのり)の話をしてるかや」と言われました。
早速熱心な三人の婆ちゃんが老院を囲んで、ご示談ということになりました ので小生もお話を伺わさせて頂きました。

A婆「先生、私等ここで今まで話していたんですけど、おかげさまでやっと お念仏が分からせて頂きました。毎日有り難くて、有り難くてお念仏が 出止みません」

老院「ほほう、そやけどあんまりこっちが、阿弥陀様を使わんこっちゃ。 阿弥陀様が疲れるさけな」

B婆「先生そういう話ではないがです。私はこの間、御内仏でお勤めをしてい たら、御内仏の中が紫色にパーッと光りまして、ココヤと思ったんです」

老院「うん、御内仏が光る時もあるやろな、光らん時もあるやろな。こっちは そんな心配はせんこっちゃ」

C婆「いやいや先生違います。私はこの間畑仕事をしていまして、縄が少し足 らん用になったがです。その時に後ろを見よという声がしましてヒョイと 後ろを見ると丁度間に合う縄があったがです。ココヤと思いまして畑に座 りこんで涙流して喜んだがやです」

老院「そやろな、縄が有る時もあるやろし、ない時もあるやろな。みんな 阿弥陀様のお仕事や、いらん心配せんこっちゃ」

かくて三人の婆ちゃんの堂々めぐりが続いていきましたが、翌朝食事の時には あれほど喜んでいた三人の婆ちゃん達は、何かしら物憂い顔で食事をとっており ました。
婆ちゃん達は小生に信ずるという事を改めて考えさせて下さった善知 識でありました。

阿弥陀様の御本願があって、それを私が信じて救われる浄土真宗ではありませ ん。
「入れ物がない、両手でうける」という句を見たことがありますが、小生の心 には何処を探しても、信心を入れる入れ物がありません。

心に入れ物がないから「なんまんだ仏」と称えられ、受け取るだけの御信心を 仕上げて下さったのでしょうね。

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「親鸞聖人の他力観」

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ほとんどWikiArcがブログ状態になっているので、当ブログへの書き込みは久しぶりである。

ともあれWikiArcでの「他力」(利他力)や、「他利利他の深義」の記述の元になっている梯實圓和上の論文「親鸞聖人の他力観」をUPしてみた。

「親鸞聖人の他力観」

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どこにそんなことを仰ってるんだ?

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ウチの在所では、通夜の晩には蓮如さんの疫癘のお文(御文章p.1180)を拝読する。
このお文は、御開山の御消息に、

なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。(p.771)

とあるように、人が死ぬのは当たり前のことであるから驚くなという文(ふみ)である。死ぬのは当たり前であるからこそ、死を超える確かなものにあいなさいという意味である。

蓮如さんは、このお文(御文章)の中で、

このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。(御文章p.1180)

と、「阿弥陀如来の仰せられけるやう」とある。しかし阿弥陀如来が直接我々に語る語は「三部経中」には無い。釈尊の教説を通じ、諸師方の言葉を通じて阿弥陀如来のお心を知るだけである。

ともあれ本願寺派の「信因称報説」を突き詰めると、愚直になんまんだぶを称えている者に、阿弥陀如来は「どこにそんなことを仰ってるんだ」と、大行であるなんまんだぶを否定するような坊さんを生み出すのであった。ある意味で、

つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。
大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。(行巻 P.141)

という、御開山の「行信」の破壊であろう。
坊さんの、知性と教養が邪魔をして、法然聖人の示して下さった、穢土と浄土という相対の二元論を飛び越えて、己の「自覚」としての、

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。(p.209)

自性唯心の輩(はらから)であろう。かえるべき浄土を持たない現実主義者の坊さんである。

御開山は、比叡山時代には「堂僧」として『般舟三昧経』にもとずく四種三昧のうちの一である常行三昧を修しておられたといわれる。善導大師は『般舟讃』や『観念法門』で『般舟三昧経』に言及しておられた。
そして『観念法門』で『般舟三昧経』を引いて、

仏のたまはく、〈四衆この間の国土において阿弥陀仏を念ぜよ。もつぱら念ずるがゆゑにこれを見たてまつることを得。すなはち問へ。《いかなる法を持ちてかこの国に生ずることを得る》と。
阿弥陀仏報へてのたまはく、 《来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなく、すなはち来生することを得ん》〉と。仏のたまはく、〈専念するがゆゑに往生を得。 (観念法門 P.611)

 と、「来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし(欲来生者当念我名)」と、阿弥陀仏自らが称名(当念我名)と、言われているのであった。
法然聖人は『選択集』で、

しかのみならず『般舟三昧経』のなかにまた一の選択あり。いはゆる選択我名なり。弥陀みづから説きて、「わが国に来生せんと欲はば、つねにわが名を念じて、休息せしむることなかれ」(意)とのたまへり。ゆゑに選択我名といふ。(選択集 P.1284)

と、選択我名とされておられた。
知性と教養に溢れる社会派の坊さんには、愚直に なんまんだぶを称えている門徒に対し「どこにそんなことを仰ってるんだ」と、驚かし、

一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひおどろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすがへすもこころをとどめて、おもひわくべきことなり。(歎異抄)

と、「いひおどろかして」門徒を惑わすことが、新しき「名目」を出(い)だしての、違いを強調して自己保身をはかる名聞利養の生業のなれの果てかもと思ふ。

そんなこんなで、なんまんだぶを称える門徒に対して「どこにそんなことを仰ってるんだ」という論難に対して、越前の愚直な門徒が、『般舟三昧経』一巻本に、阿弥陀仏自身が、

阿弥陀仏報へてのたまはく、 来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなくは、 すなはち来生することを得ん (般舟三昧経)

という称名を指示する経文を引用しておく。
念仏という「念」を、称名であるとされた法然聖人の意から、日本では念仏とは称名であるという歴史があるのだが、痴愚の毒におかされた 坊さんは、この経緯が判らんので困ったものだ。どうでもいいけど。

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どちらがウソか

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fbで井上敬信さんが『慕帰絵詞』をUPして下さったのでwikiarcに転載してみた。→「慕帰絵詞」
で、「絵詞」とあるので、国立国会図書館デジタルコレクションから画像を引用してみた。
ところで浄土真宗を名乗る「高森親鸞会」では、

『どちらがウソか』(高森親鸞会篇)を出版して次のごとく論難している。
もし、本願寺の言うように、親鸞聖人や蓮如上人が、名号でもよし、絵像でもよし、木像でもよし、一つに固執してはいけないと教えられたのが正しいとすれば、『改邪砂』に「親鸞聖人は木像や絵像を本尊とせず、必ず名号を本尊とせられた」と書かれてありますが、覚如上人はウソを書かれたことになります。→「真宗の本尊について」

と、本願寺の木像・絵像の安置を非難し六字の名号こそ本尊であると攻撃していた。しかして覚如上人の子慈俊(従覚)撰述による『慕帰絵詞』の絵によれば、病中の覚如上人を描いたところには、三具足(仏前に供える、華瓶・香炉・燭台)を具して阿弥陀如来の画像が安置してある。

「国立国会図書館デジタルコレクション」

彼の会員は、どれだけ言葉で示しても理解できないのだが、ビジュアルな画像で示せば、覚如上人の著述(改邪鈔)に依拠して仏壇から絵像の阿弥陀仏を降ろし高森親鸞会からレンタルのコピー&ペーストの本尊に入れ替えた愚行に気が付くかもである。

➡「名号画像」

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約束

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fbより転載

お説教などで、阿弥陀仏の誓願を約束という言葉で表現する方もいる。しかし、深川倫雄和上は、本願を約束と思ってはいけません、と示されていた。日本語での約束という表現は、人と人の間の取り決めの意味が強いからであろう。言葉は意味が拡散して本来の意味が見失われることも多いので、御開山が和語の御消息で使われている約束という語を考察してみた。
➡「約束」

なお中国語での約束という漢語の意味をノートに転載しておいた。
➡「ノート:約束」

子どもの頃には「指切げんまん(拳万)、嘘ついたら針千本呑ます、指切った」と無邪気なものだったが、拳万はぐーで一万回殴ることで、針千本呑ますは地獄の責苦であり、指切ったは遊女の客に対する愛情表現で小指の第一関節から指を切って相手に渡すことだそうだ。やくざの忠義だてだな(笑

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安心門と起行門

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浄土真宗では信心を強調するため、安心と起行という概念に分けてご法義を論ずる。これを「安心門」と「起行門」といふ。
安心門と起行門は、その論理構造のあらわし方が違うので、安心門で論ずべきことを起行門の上で語ったり、起行門の上で語ることを安心門で論じたりするなどの混乱が生ずる。
我、何を信ずべき(beeing)かと、我、何をなすべき(doing)とを、ごっちゃするから浄土真宗の御法義は難しいのであり、難信之法といわれるのであった。
ともあれwikiarcの安心門と起行門の項に追記してみた。

→「安心門」
→「起行門」

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観経の三心釈

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観経の三心釈を少しく編集してWikiArcの至誠心のノートへ転載。

梯實圓和上の名著の一つである『法然教学の研究』から、第二篇 法然教学の諸問題の「第三章 法然聖人の信心論」を窺う。

御開山は「仏願の生起本末」といわれ、ただ出来上がったものを受容するのではなく、その本末(一部始終)を学べとされた。例せば、市販の吊るし柿を見ただけでは、初夏に黄白色の小さな花を咲かせ、秋には鮮やかで濃い橙色の実をつけ、その実を収穫し、皮を剥いて冬の軒先に吊るし寒風にさらし熟成された吊るし柿を本当に知ったとはいえないのであろう。吊るし柿には蔕(ヘタ)が付いているから、あのまま木に成っていると誤解するかもである。同じようにゴールである「大乗の至極」の浄土真宗のご法義を学ぶには、各々の祖師方の教学を学ぶべきであろう。
鈴木大拙師は、

正統派の学者達は出来上がった御膳立を味わうことに気をとられて、そのものがどうしてそう組み上げられねばならなかったということを問はないようである。

と、いわれていたが、出来上がった解釈をあれこれ会通するよりも、その思想の本末や背景を学ぶことによって、立体的により深く、なんまんだぶのご法義を味わえるのであろう。
なお、強調の太字や修飾、出典へのリンクはUPしてある聖典へリンクし、脚注の◇以下の部分、ルビおよび〔〕内の漢文読下し等は便宜のため適宜林遊が付した。「隠/顕」をクリックすることで漢文の読下しを表示できる。

➡トーク:至誠心

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