法然聖人と御開山の相違について

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FBのフレンド?さんからコメント欄で以下のような問いを受けた。通常ならお聖教を読めやで済ますのだが、暇なので反応。

>先日「法然と親鸞は一緒や!」とおっしゃる方がいて、その場の空気で、何も言えませんでした。
>帰宅し家事をしながら、「あれはなんなん?僧籍にある人の言う言葉か?」と、悶々と、煩悩が起こってきました。頭の中で三願転入の言葉が、浮かび次々と和讃 経文 ネット等探しているうちに、気づきました。批判していたお方のおかげで、我が信を少しく見なおすことになり感謝でした。
>法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです。

「法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです」と、自らの生死を託す祖師方を呼び捨てにする神経は理解しがたいのだが、以下に思ふところを記してみる。

単純な「法然と親鸞は一緒や!」という言い方は、少しく穏当さを欠いています。
念仏を強調された、高田派の真慧上人の『顯正流義鈔』あたりを己の字力だけで読めば、そのような解釈になるのかもです。
また、御開山は、

(99)
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ

と、浄土真宗を開かれた方は法然房源空聖人とされておられる意を、直截(すぐに裁断を下すこと)に取って言っているのかも知れません。
法然聖人は対機説法に巧みでしたから、その本意を誤解されることが多いのですが、法然聖人の「念仏往生」思想の中核を正しく継承し、深化発展させた方が御開山です。
梯實圓和上は「教行証文類のこころ」の講義で、

親鸞聖人は浄土真宗というのはこれは、浄土真宗を開いた方は、法然聖人だと言い続けておられますね。皆さん、お正信偈拝読させて頂きましたら、一番最後が法然聖人の徳を讃える源空讃になりますね。あのとこにね、本師源空は、仏教にあきらかなり、善悪の凡夫人を憐愍し、真宗の教証を片州に興し、選択本願悪世に弘めしむ、と仰ってますでしょ。
あれ同じ事を和讃、法然聖人の和讃見ますとね、
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
と、こう仰ってます。つまり日本の国で浄土真宗を開いた方は法然聖人だというんですね。源空聖人、法然聖人というのは房号ですからね。正確に言うと源空、法然房源空というのがこの方のフルネームでございます。
この法然聖人が浄土真宗を開いた最初の方だ。つまり、浄土真宗という教義体系ですね。浄土真宗という教義体系を持つ宗教を日本で初めて開いた方は法然聖人である。
『教行証文類』でも一番最後の所に、「真宗興隆の大祖源空法師」、とこういうふうに仰っています。
浄土真宗を日本の国で興隆して下さった方は源空である、とこう仰っていますから、法然聖人が浄土真宗を開いた方だというふうに仰っているわけですね。

と、仰っていました。
我々は知らず知らずのうちに「宗我」という名の自是他非に陥り、念仏VS信心という対立構造で浄土真宗というご法義を理解したつもりになるのですが、これは間違った浄土真宗のご法義の捉え方です。明治期以降の信を強調するキリスト教の影響によって、真宗教団が愚直に往生の業因である〔なんまんだぶ〕を称える門徒を切り捨てて、回向されたご信心と自覚を等値した結果が、信心という自覚に迷う輩を輩出してきたのかもです。
御開山が、

穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ (*)

と示されたように、「行に迷ひ信に惑」っているのが、現代の真宗門徒なのかも知れませんね。御開山の「ご影」には、どれも珠数をつまぐっている姿が描かれていますが、なんまんだぶ なんまんだぶと、法然聖人が示して下さった、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」でありましょう。

で、お尋ねの問いに関して、
→「五願開示
「浄土真宗の特長」
へ、リンクしておきます。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

醍醐本法然上人伝記

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wikiarcの『法然上人伝記』に追記。

大正6年に真言宗醍醐三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本である。「一期物語」「禅勝房との十一箇条問答」「三心料簡事」「別伝記」「臨終日記」「三昧発得記」からなる法然聖人の伝記、法語等からなる書である。勢観房源智上人(1183-1238)またはその弟子が書き記されたといわれる。源智上人は、13歳のとき法然聖人の室に入り、常時随従して秘書的役割を担ったとされる。また、法然聖人の最晩年の念仏の領解を述べられた、『一枚起請文』を授けられている。

梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、仰っておられた。ことに「三心料簡および御法語」の法然聖人のご法語の趣旨を拝読するに、親鸞聖人独自の「己証」とされている中には、法然聖人から承けられた法門の発揮があると思ふ。たとえば『歎異抄』第三条で喧伝される御開山の悪人正機説「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」も、「三心料簡事」では「善人尚以往生 況悪人乎事〔口伝有之〕 」と、法然聖人の口伝の法語としてあるのであった。御開山の著述は重層構造だから難解なのだが、梯實圓和上の示されたように、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などを拝読すれば、御開山と法然聖人の浄土仏教解釈の共通点が明らかになると、〔なんまんだぶ〕を称えるだけの愚鈍な林遊のような門徒は思ふ。

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『法然上人伝記』

足の指、地を按ずるに

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『論註』の、

 足の指、地を按ずるにすなはち金礫の旨を詳らかにす。

の脚注に追記してみた。

維摩経』仏国品では「その心、(きよ)きに随って、すなわち仏土浄し(随其心浄則仏土浄)」という。この意を舎利弗に教える為に、「仏が足の指でもって地を(おさ)(仏以足指按地)」えて、仏の感得している浄らかな仏国土を舎利弗に示現し、この苦悩渦巻く穢土も、釈尊の浄らかなさとりの眼から観(み)れば浄土(きよらかな土)であると示される。いわゆる善悪や浄穢という対立の世界は煩悩が描き出している虚妄の世界であり、煩悩を寂滅した仏のさとりの立場からみれば、全ては縁起するものであり、故に自性を持たない無自性であり、この故にあらゆる認識しうる、もの/ことは空であり、その空であることによって全ては平等であるとする。これが仏教の縁起の思想における平等という存在の視点である。これを悪しく理解すると、単純な唯心論に陥り、ただ心の持ち方によって、この世が穢土にもなり浄土にもなるという発想になる。
しかし、このような発想は、穢土と浄土という法然聖人の二元論の原則を継承した御開山からみれば、

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す。 (信巻p.209)

という穢土の他なる浄土を考察しない、己心の浄土、唯心の弥陀という自性唯心の立場であろう。此土(この世)という語には、彼土(かの世)という概念が内包されている。生きること、生きる意味を考察するすることは、同時に、死ぬこと、死ぬ意味を推察することでもある。浄土仏教の歴史は、その死ぬことの意味を、千数百年かけて観察し考察し推察して洞察してきたのである。生き難い此土で、愛憎煩悩に憂い悩乱し、さとりへの手がかりすらない凡夫にとって、この世を超えた煩悩の寂滅した、さとりの浄土の存在は、不安の中にありながらも不安の中で安心できる世界である。その浄土を目指し、さとりを完成しようとする生き方が浄土仏教である。

その穢土と浄土の二元論の上に「信心の智慧」によって、本願力回向による一元的な自然の浄土を感得せられたのが御開山であった。それは、「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん(諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念)」という、なんまんだぶの名号を聞信するところに開かれるて来る「如-来(如より来生する)」する世界であった。これが浄土を真実とする「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」である。
浄土真宗の「信心正因」とは、なんまんだぶと称えることが往生成仏の業因であると信知した者の前に開かれる、本願力回向の世界(世開)であった。それはまた、釈尊の感得せられたさとりの世界であり、なんまんだぶと声になって届いている、智慧の念仏の躍動する世界である。

「足の指…」

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絶滅危惧種

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FBより転載

浄土真宗は信心正因のご法義だという。
しかして、その信心とは何かということを、坊さんが説かないから門徒は右往左往する。
まして他力の信心という、他力の「他力」の概念の意味が判らない布教使が、信心、信心というので、門徒は迷いに迷って、私の想ひを変革する奇跡の出来事が「信心獲得」によって得られる事象と勘違いをするのであった。

九条武子さんは、その著『無憂華』の「背くもの」で、

 信仰を特異の存在であるかのやうに思ってゐる人たちは、信仰の門にさえ佇めば、容易になやみの絆は断ち切れて、みづからの欲するまゝに、慰安の光がかゞやくかのごとく思ふ。
しかしながら、信仰は一の奇跡ではない。宗教はまた気やすめのための、力なき慰めでもない。信仰は荷せられた悩みを逃避するのではなく、悩みの肯定のうちに、救ひの光にみちびかれるのである。
多くの人たちは、宗教の本質について、かなしき錯覚のもとに、法をもとめようとしてゐる。そして一様に、自らの想像する驚異の世界を発見することが出来ずして、却ってをしへの常凡なるに失望してゐる。 (*)

と、記述されている──信仰という表現は、九条武子さんがおられた時代背景の大正デモクラシーの影響を受けたキリスト教表現であろう──が、「悩みの肯定のうちに」という表現は、御開山の示して下さったご法義を正確に言い表していると思ふ。
「教えの常凡なるに失望している」という常凡(つねなみ)という言葉の捉え方がややこしいのだが、ようするに〔なんまんだぶ〕を称えて、西方仏国を目指せということである。大正デモクラシーの個人の意識の覚醒を指示する中にあったからこそ、御開山の示された、林遊のように莫迦みたいに、なんまんだぶを称えて浄土を目指すご法義を「常凡」とされたのであろう。
もっとも平成の世では、かっては何処にでもいた、なんまんだぶを称えて往生浄土を期す門徒は、まるでメダカのようにレッドリストの絶滅危惧種に位置づけられているのであった。

ともあれ、いわゆる社会派を自称する真宗の坊さんは、本物のご法義流通の為にも、この絶滅危惧種の保存に目を向け保護を計るべきであろう(笑

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聞此法歓喜 信心無疑者

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wikiarcの「聞此法歓喜 信心無疑者……」の項に以下を追記した。

 

菩提心を説く『華厳経』「入法界品」(晋訳)にある文。『教行証文類』(信巻 P.237)で引文されておられる。

通常は、

聞此法歡喜(もんしほうかんぎ) 信心無疑者(しんじんむぎしゃ)

この法を聞きて歓喜し、心に信じて疑なければ、

速成無上道(そくじょうむじょうどう) 與諸如來等(よしょにょらいとう)

すみやかに無上道を成じ、もろもろの如来と等しからん。

と読むのだが、御開山は、

聞此法歡喜 信心無疑者

この法を聞きて信心を歓喜して、疑なき者は、

速成無上道 與諸如來等

すみやかに無上道を成らん。もろもろの如来と等し。

と訓まれ、如来から回向された信心を歓喜する「信心歓喜」の意に転じられた。これは本願成就文に、

諸有衆生(しょうしゅじょう)聞其名号(もんごみょうごう)信心歓喜(しんじんかんぎ)乃至一念(ないしいちねん)至心廻向(ししんえこう)

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。 (大経 P.41)

とある「信心歓喜」の文の意を洞察されて、如来から回向された「信心を歓喜して、疑なき者は」と訓じられたのであろう。
「聞此法(この法を聞きて)」の法とは「入法界品」の当面では善財童子に代表される修行者の発こす菩提心の法である。これを転じて、この法とは阿弥陀如来因位の法蔵菩薩の菩提心(本願)であり、これが私に於いては回向された願作仏心であり、還相の度衆生心であるとされた。浄土真宗の横超菩提心とは、私が発起するのではなく阿弥陀如来の菩提心に包摂されていることをいうのである。この包摂されている意味において「もろもろの如来と等し」とされたのである。本願を受容した念仏の信心の行者は、諸仏と等しいとされるのであり、これが現生正定聚説の根拠の一でもあった。
この意を「諸経和讃」の以下の和讃の前半で、

(94)

信心よろこぶそのひとを

 如来とひとしとときたまふ

 大信心は仏性なり

 仏性すなはち如来なり (*)

と、「信心よろこぶそのひとを、如来とひとしとときたまふ」と和讃されたのであった。 なお、句の後半は『涅槃経』の、

大信心はすなはちこれ仏性なり、仏性はすなはちこれ如来なり。 (信巻 P.237)で引文

からとられたのである。御開山が学んでおられたのは、天台教学であった。その天台の教判では、釈尊一代の教をその説かれた時を五時に分類して考察している。いわゆる、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時教判である。もっともこの分類法は現在の仏教教理史上では受け入れられていないのだが、天台僧として二十年にわたって学ばれた御開山にとっては当然のことであったと思われる。
前掲の和讃や引文などを窺うと、釈尊の最初の説法とされる『華厳経』と最後の説法であるとされる『涅槃経』を挙げることによって、釈尊の説かれた全仏教を、誓願一仏乗(行巻p195)に総摂するという意図もあったのであろう。「御消息」第一通で「選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(消息P.737)として「大乗のなかの至極なり」とされた所以である。

「聞此法歓喜信心無疑者……」

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光なき人 光を仰ぐ

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加賀の三羽烏といわれた藤原鉄乗師に、

光追う 人に光は  なかりけり
光なき人 光を仰ぐ

という句がある。
若い時には理想や自己実現という願望の光を目指すのである。しかして、その理想と現実のギャップの中に存在している光なき自己の現実に気がついたとき、ごまかす事のできない、苦悩の中にあった自己を発見するのであろう。
理想と現実のはざまで、夢や期待の光を追いかけていた自己の存在の基底の、光なき煩悩の闇の中に息づいている自力の中にいる己を発見するのであった。
小林一茶は、世の中は 地獄の上の 花見かな、という句を詠んだが、理想の実現をおい求めることを想い描く自己の足下には、いつか現実化される厭わしい世界が着々と根底に準備さつつあるのであった。
老いるとは、死なねばならぬという現実の中で、自らの想いの火を消して浄土からの、なんまんだぶという救いの光を仰ぐことであり、これが他力の浄土を目指す浄土真宗のご法義であった。
ともあれ、仏教には心理学的な方面からの考察もあり、ユング派の河合隼雄氏の「灯を消す方が よく見えることがある」という考察は、第十九願や第二十願の光を求めるという発想の逆であろうと思ふ。
以下、河合隼雄氏の『こころの処方箋』から引用。

灯を消す方が
よく見えることがある

子どもの頃に読んだ、ちょっとした話がずっと心のなかに残っていることがある。次に紹介する話も、少年倶楽部あたりで読んだのだと思うが、妙に印象的で心のなかに残り続けていたものである。
何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角がわからなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつだったか?)をかかげて方角を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫におされて消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんとなれてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方角がわかり無事に帰ってきた、というのである。

この話を読んで、方向を知るために、一般には自分の行手を照らすと考えられている灯を、消してしまうところが非常に印象的だったことを覚えている。子ども心にも何かが深く心に残るということはなかなか意味のあることのようで、このエピソードは現在の私の仕事に重要な示唆を与えてくれている。
子どもが登校しなくなる。困り切ってその母親が相談に行くと、学校の先生が、「過保護に育てたのが悪い」と言う。そうだ、その通りだと思い、それまで子どもの手とり足とりというような世話をしていたのを一切止めにしてしまう。ところが、子どもは登校しないどころか、余計に悪くなってくる気がする。そこで他の人に相談してみると、子どもが育ってゆくためには「甘え」が大切である。子どもに思い切って甘えさせるといい、と言われる。困ったときの神頼みで、ともかく言われたことをやってみるがうまくゆかない。どうしていいかわからないということで、われわれ専門家のところにやって来られる。
「過保護はいけない」、「甘えさせることが大切」などの考えは、それはそれなり一理があって間違いだなどとは言えない。しかし、それは目先を照らしている灯のようなもので、その人にとって大切なことは、そのような目先の解決を焦って、灯をあちらこちらとかかげて見るのではなく、一度それを消して、闇のなかで落ちついて目をこらすことである。そうすると闇と思っていたなかに、ぼうーと光が見えてくるように、自分の心の深みから、本当に自分の子どもが望んでいるのは、どのようなことなのか、いったい子どもを愛するということはどんなことなのか、がだんだんとわかってくる。そうなってくると、解決への方向が見えてくるのである。
不安にかられて、それなりの灯をもって、うろうろする人(このことをできるだけのことをした、と表現する人もある)に対して、灯を消して暫らくの闇に耐えて貰う仕事を共にするのが、われわれ心理療法家の役割である。このように言っても、闇は怖いので、なかなか灯を消せるものではない。時には、油がつきて灯が自然に消えるまで待たねばならぬときもあるし、急を要するときは、灯を取りあげて海に投げ入れるほどのこともしなくてはならぬときがある。そんなことをして、闇のなかに光が必ず見えてくるという保証があるわけでもない。従って、個々の場合に応じて、心理療法家の判断が必要となってくるのだが、その点については、ここで論じることはしない。
もっとも、不安な人は藁をもつかむ気持で居られるので、そのような人に適当に灯を売るのを職業にしている人もある。それはそれなりにまた存在意義もあるので、にわかに善し悪しは言えないが、それは専門の心理療法家ではないことは確かである。
子ども心にも、特に印象に残る話というのは、やはりその人にとって、人生全体を通じての深い意味をもっているものなのだろう。子どもの頃に知って記憶している話が、現在の自分の職業の本質と密接にかかわっていることに気づかれる人は、あんがい多いのではなかろうか。
別に心理療法なんかを引き合いに出さなくとも、目先を照らす役に立っている灯──それは他入から与えられたものであることが多い──を、敢て消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。最近は場あたり的な灯を売る人が増えてきたので、ますます、自分の目に頼って闇の中にものを見る必要が高くなっていると思われる。

宗教の世俗化ということが久しいのだが、浄土真宗の坊さんが「場あたり的な灯を売る」、癒しを説く人になっているのは門徒として悲しいことではある。

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浄土真宗の信心

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wikiarcで使用しているmediawikiというソフトには、他のページや外部のwikiのページを転送して文章の一部として出来る機能がある(*)。いわゆる文章の多重化というコピーと違って、転送先の文書に変更があれば自動的に参照している文章も変更されるのでコンテンツの共有には便利である。
そんなこんなで、wikiarcの「信心」の項目を更新してみた。以下は林遊が追記した文章だが、転送した梯實圓和上の「たまわりたる信心」という考察はありがたいものである。

一般的には、信心とは神仏への加護や救済を願い祈ることをいう。 しかし、浄土真宗に於ける信心という概念は、いわゆる信仰型の諸宗教における信心とは大きな違いがある。
浄土真宗においての信心とは、私の側で信を起こす心の意味ではない。私に浄土で仏のさとりを得させようという、本願(仏の願い)に対しての宗教的態度の表現をいう。真如から来生する、如-来の願いを受容する態度を表現する言葉が浄土真宗の信心である。このような本願に対する受動的態度を、信知信受信順などとも呼び、真宗独自の、無義為義である宗教言語表現を御信心(ご-しんじん)というのである。信はたまわるものであり、私の側に見ないから敬語表現で「ご信心」というのである。このご法義の先達が「信は仏辺に仰ぎ、慈悲は罪悪機中に味わう」といわれた所以である。この仏の本願を受け容れ信順することを『歎異抄』では「たまはりたる信心」(*)というのであった。
なお、浄土真宗における救済とは、仏の本願によって浄土に生まれ(往生、到彼岸)、仏のさとりを得て仏と成り(成仏)、生死を超える(解脱)ことを救済というのである。浄土真宗という宗名は、往生浄土の真実の宗という意味である。このような意味から現世での我執による利益を欣うことを否定するのが浄土真宗の特徴である。 →法話 他力の信の特色

→「信心」

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興福寺奏状とは

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wikiarcにUPしてある『興福寺奏状』の表題の解説を記(しる)してみた。
そのうちに、『興福寺奏状』の各条ごとに善導大師のように、

いぶかし、今時の一切の行者、知らずなんの意ぞ、凡小の論にすなはち信受を加へ、諸仏の誠言を返りてまさに妄語せんとする。 苦しきかな、なんぞ劇しくよくかくのごとき不忍の言を出す。

の、信受の突っ込みを入れたいと思っていたりする(笑
以下追記した語。

『興福寺奏状』は、元久2年(1205)奈良興福寺の衆徒が法然聖人の提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に提出した文書で、起草者は、法相宗中興の祖といわれる解脱坊貞慶上人とされる。法然聖人弾劾の上奏文というべき文書であり、これを因として、承元の法難と称される法然師弟に対する死罪を含む専修念仏への弾圧がなされた。御開山は『教行証文類』の後序で、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。
ここをもつて興福寺の学徒、太上天皇[後鳥羽院と号す、諱尊成]今上[土御門院と号す、諱為仁]聖暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。

とされておられる。法然聖人の提唱した選択本願念仏という教説は、仏教における宗教改革といえるような先鋭的な仏教思想であり、当時の──ある意味では現代においても誤解されやすい──仏教界には異端邪説としか受け取れなかったのであった。
なお、余談ではあるが、この『興福寺奏状』の起草者と目されている解脱坊貞慶上人は、死の半月前に口述された「観心為清浄円明事」(*)で、「予は深く西方を信ずる」としているから、いつしか貞慶も浄土教に帰順していたのであった。また、念仏弾圧を命じた後鳥羽上皇も承久の乱によって隠岐の島へ配流され、無常にかられ阿弥陀如来がまします浄土へ往生したいという意で、『無常講式』(*)を作り南無阿彌陀佛と述しておられるのであった。

「興福寺奏状」

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機無・円成・回施・成一

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浄土真宗の先輩諸師方は、難解な『教行証文類』を読み解く為に、いろんな補助線を用意して下さってある。機無・円成・回施・成一という名目もその一つである。
漢字の特色の一つに造語力というのがあるのだが、宗教言語の世界で使われる漢語は辞書を引いても出てこない語(ことば)なので混乱する。また、その概念が判りにくいので、ご法話のお聴聞で学ぶしかないのであろうと思ふ。
昔は、絶妙なる譬喩で難しい概念を易しく説く布教使がたくさんいたものだが、最近の坊さんは浄土真宗の、なんまんだぶのご信心を説き切らないので困ったものである。
もっとも、聞く側の耳が育っていないからという面もあるのだが……

と、いうわけでwikiarcに、機無・円成・回施・成一の項目を追加してみた。

「機無・円成・回施・成一」

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最要鈔

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少しく調べたいことがあったので、覚如上人述の『最要鈔』を国立国会図書館デジタルコレクションから持ってきてUPしてみた。
覚如上人は、当時の鎮西浄土宗の多念義の傾向に対抗する為か、一念義的な傾向が窺える。いわゆる本願成就文の「信心歓喜 乃至一念」の一念の信を強調するあまり、乃至という〔なんまんだぶ〕の称名を軽視する嫌いがあると思ふ。
確かに信後の称名には、行者の意許(こころもち)では御恩報謝という意味もあるのだが、なんまんだぶと称えてなんまんだぶと聞える、浄土から顕現する呼び声を等閑に付する恐れもあるのである。

法然聖人は、

 又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、行が信をさまたぐる也。
かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし
又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。(和語灯録p.633)

と、「信をば一念にむまるととりて、行をば一形にはげむべし」とのお示しであった。なぜなら乃至十念は、本願に誓われた往生決定の「行」であるからである。

御開山は、「信巻」で至心・信楽・欲生の三心を結釈されて、

 まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。このゆゑに論主(天親)、建めに「我一心」(浄土論)とのたまへり。また「如彼名義欲如実修行相応故」(同)とのたまへり。 p.254

と、「真実の信心はかならず名号を具す。」とされておられる。行と信あいまっての、行信不離(*) が御開山の示して下さった浄土真宗というご法義である。その意味で信の一念に腰かけて、なんまんだぶを称えない者は、御開山の御同行ではないのであると思ふ。
御開山は、『大経讃』の結論として、

(71)
念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*)

と、「念仏成仏これ真宗」と、されておられ、真宗は〔なんまんだぶ〕を称え往生を目指すご法義であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
→『最要鈔』